野球好きならずとも、一度は『ニューエラ・キャップ』の名前くらいは聞いたことがあるだろう。
1920年に誕生した同社は当初紳士向けの帽子を製造していたらしいが、1932年にはベースボールキャップの製造を開始、以来「品質第一」をモットーに、商品のクオリティの高さが評価され、徐々にシェアを広げていった。
その後ニューエラ社は契約チームを増やすだけでなく、1993年にはついにメジャーリーグの全球団のオンフィールド・オフィシャルキャップを独占的に製造する権利を獲得。ベースボールキャップ界において、その地位を不動のものにした。
また同社の功績はそれだけでなく、ベースボールキャップを単なる野球ファンの”一応援グッズ”にとどまらせることなく、エッジの効いた”ファッションアイテム”にまで昇華させたことも特筆すべき点である。
中でもB-BOY(やB-GIRL)がカラフルなニューエラのベースボールキャップを、シールは張ったまま、つばをまっすぐにして、斜めに被って街を闊歩してる姿が最も印象的だと思う。
若干ハナシが逸れるが、なぜB-BOYが、つばを曲げずに、またシールを貼ったままでキャップを被るか、ご存じだろうか?
理由は「新品だということをアピールするため」と言われている。
あえて”買ったままの状態”で、キャップのツバを曲げずに、シールを貼ったままで被ることが、フッドのB-BOYにとってはステイタスだったのだ。
俺のイケてるキャップは誰かのお古じゃねえぞ。と。
(少なくともB-BOYSのバイブル、『Black Music Review』誌には以前そう書いてあったと記憶している。)
しかし、今となってはいろんな色や、迷彩柄、星条旗柄など、様々なカスタムキャップが流行っているが、これはいつごろ生まれたものだろう。。
キーマンは『マルコムX』や『Do The Right Thing』等の作品でおなじみの映画監督、スパイク・リーだった。
1996年にヤンキースがワールドシリーズに進出したのを機に、大のヤンキースファンであるスパイクはニューエラ社のCEOクリス・クックに電話を入れ、ワールドシリーズの観戦時に自分が被る為に、特別に”赤いヤンキースのキャップ”を作ってほしいとリクエストしたのだ。
クックはチームやメジャーリーグと交渉を重ね、何とか権利関係をクリア、リクエストを実現したのだ。
試合当日、ヤンキースのダグアウトの真上で真っ赤なヤンキースのキャップを被って応援するスパイクの姿がテレビを通して数千万の人に目撃された。
以降カスタムキャップという概念が生まれ、各チームも様々なデザインのアイテムを発表して行ったのだ。。。正にスパイクこそがカスタムキャップの生みの親と言えよう。
こんなことを書いてたら、僕も学生時代はよく赤いヤンキースのキャップ被ってたな、なんてことをふと思い出してしまった。
尚、都内だと渋谷の『FAMES』や『On Sportz』で珍しいカスタムキャップをチェックできるし、マイナーリーグ等のマニアックなニューエラキャップが欲しければ、ご存じ『ベースマン」や、『セレクション』をお勧めしておく。
しかし、久々にいろんな店を見てみると、当時(約10年前)からは比べモノにならないくらい、商品の選択肢が増えたなと改めて驚いた。
今年は久々に新しいキャップでも買ってみようと思う。