第2位/フェンウェイ・パーク
- ホーム :ボストン・レッドソックス
- オープン:1912年
- デザイン: James McLaughlin
- ホーム :ボストン・レッドソックス
- オープン:1912年
- デザイン: James McLaughlin
- 収容人数: 37,499人
本連載でも再三お伝えしてきたとおり、1990年以降MLBにおける新球場建設ラッシュはすさまじく、昨年までに全30チーム中、実に23チームが新球場へ乗り換えを遂げた。その大きなウネりの中で、タイガー・スタジアムや、コミスキー・パークといった歴史遺産も姿を消していった。フェンウェイ・パークとて例外ではなく、2000年代初頭には新フェンウェイ・パーク建設の計画までもが持ち上がっていた。
ところがその計画に待ったをかけたのは当時オーナーに就任したばかりのジョン・ヘンリーと球団社長のラリー・ルキーノであった。彼らは老朽化した球場に大規模な改修を施し、まだまだ現役で使い続けるという意思決定を下したのだ。
実はルキーノはオリオールズの球団社長時代にオリオール・パークを大成功に導いた責任者であり、いわば今日の新球場建設ラッシュのキッカケを作った張本人だったが、過去の成功体験にとらわれない当時の経営判断は見事であった、と現時点では言える。フェンウェイにはフェンウェイの生きる道を選択したというワケ。
当時の改修のポイントは大きく二つ、「球場自体の体力回復」と、「新たな収入源の創出」であった。最も有名な例が『グリーンモンスターシート』である。誰もが思いつきそうで思いつかなかった、グリーンモンスターの上に座席を作っちまおうというアイディアだが、結果的にメジャーきってのプラチナチケットという結果を生み出した。他にも法人向けに営業しやすいスイートルームやグループセクションを作り、限られたインベントリーの価値を最大化することに成功した。
座席数は未だ38,000弱に抑えられているが、人気球団にこの希少性が相まって、米国4大スポーツ記録となる「チケットSOLD
OUT連続794試合」を達成した(ご存知の通り、惜しくもつい先日この大記録が途切れたばかり)。尚、シーズンシートにいたってはいまだに孫の世代までキャンセル待ちというのは有名なハナシ。
フェンウェイが米国内はもとより、世界中にマニアックなファンを持つ大きな要因は、ベーブ・ルースやテッド・ウィリアムズといった幾多のレジェンド達がプレーしたという伝統に加えて、ココの極めてアブノーマルでユニークなプロポーションによるものだろう。
なぜこれだけアブノーマルな形の球場が誕生したのは開場当時の事情による。自動車も普及していなかった時代、野球場といえども街の一区画に押し込まれて建設されるケースが普通であり、道路に囲まれたロケーションでは、グランドの拡張ができず、やむを得ず変則な球場が数多く生まれていった。
90年以降の新球場誕生の際も、”非対称球場を意識的に作る”というヤリクチはこういった「いにしえの文化を現世に再現しよう」という手法のひとつなのである。特にフェンウェイのアブノーマルな形状はクリーブランドのプログレッシブ・フィールド等、多くのフォローワーに影響を与えている。
意外に知られていないが、フェンウェイはホームベースから外野フェンスまでの「最短」と「最長」距離を同時に保有している球場なのである。最短は当然グリーンモンスターのレフト側(94.5m)でしょ!と言いたいとこだが、実はライトポール(ぺスキーズポール)までの距離が最短(92m)。最長はセンター最深部の128mとなっている。この辺はちょっとしたウンチクとして押さえておこう。
フェンウェイにまだ訪れたことが無いが、予習もしくはちょっとでも雰囲気を味わってみたい方には、まずは映画『Fever
Pitch (邦題:2番目のキス)』をお薦めしたい。
熱狂的なレッドソックスファンの彼氏に、ドリュー・バリモア演じる彼女が「野球と私とどっちが大切なの!?」的な感じで迫っていく本作は、まあ一見普通のラブコメ映画なワケであるが、いかんせん”バンビーノの呪い”を解いた年のレッドソックスの、86年ぶりのワールドチャンピオンへの道のりをドキュメンタリー風なタッチで描いている点や、ジョニー・デーモン、ジェイソン・バリテック等々のスタープレイヤーが実際劇中に登場する様はファンならずとも興奮を禁じえない。
さて、ココからハナシが若干脱線するが、この映画内でに気になるフレーズが出てくるので、ついでに取り上げたい。かの有名な”バンビーノの呪い”について、レッドソックスのファン同士がやり取りするシーン。
「当時のオーナーは三流の劇団を存続させる為にベーブ・ルースをヤンキースに売っちまったんだ!」
そう、かつてレッドソックスはハリー・フレージーというブロードウェイでミュージカルを生業としていた、オーナーによって所有されており、彼が本業の劇団運営に困り、当時売り出し中だったベーブ・ルースを現金でヤンキースに売ってしまった、、、これが俗に言う「バンビーノの呪い」の始まりとされているのである。
ちなみに当時フレージーの劇団でトップ俳優を張っていたのが、ドリュー・バリモアのじいちゃん、ジョン・バリモアであった。(この映画のキャスティングがこの縁になぞられているのかは僕は映画評論家ではないので判らない。)
以降レッドソックスと、ヤンキース、ベーブ・ルースの足跡はご承知の通りであるが、実際レッドソックスが86年間ワールドチャンピオンから遠ざかっていた原因は「バンビーノの呪い」ではなく、大きな要因が2つあるとされている。
1つは黒人選手の獲得に最後まで抵抗していた点。ジャッキー・ロビンソンもウィリー・メイズもボストンへ入団するチャンスがあったものの、球団はみすみすその機会を逃した(というか拒否した)。レッドソックスが最初の黒人選手パンプシー・グリーンと契約したのは実にロビンソンのデビューから14年後のこと。すでにこの時までに延べ6名の黒人プレイヤーがメジャーリーグでMVPを獲得していた。偏見が時代を見誤らせたのだ。
2点目は非常に皮肉であるが、このアブノーマルな形の球場にフィットしたチーム作りをできなかった点である。
2004年にはエプスタインの見掛けにより、フェンウェイにフィットした(フライボールを打てる)選手を数多く獲得しそれが的中、見事86年ぶりのワールドチャンピオンの栄光に返り咲いた。また、ペドロ・マルチネス、マニー・ラミレス、デビット・オルティズ、ジョニー・デーモン、デーブ・ロバーツと言った個性の強い”非白人キャラクター”達が躍動した。以降も松坂、岡島、田沢等日本からも積極的に選手を獲得し、21世紀には一転「多国籍軍団」となったレッドソックスには以前のような排他的な雰囲気は(表面的には)見受けられない。
このような歴史を経て、近年レッドソックスが盛んに提言している「RED SOX
NATION」はニューイングランド地方に留まらず、全米中はもちろん、中南米、アジアまでその勢力を拡大しつつある。。しかしながらボストンに縁もゆかりも無い人間としてはニューイングランド地方独特のエリート意識が何か鼻にかかるんだよな(厳密にはただのヒガミとも言える)。さぞハーバードやMITでも通っていたらフェンウェイを「第二の故郷」と呼べただろうが(実際そういったエリートはすごく多い)。
そこで、そういったエリートやジモティ達に負けないよう、フェンウェイでの振舞いについて少々レクチャーしておこう。。
ダウンタウンからだらだら徒歩で歩いて球場に向かい、試合開始2時間前にはヨーキーウェイ沿いの露店でビールをあおり、高鳴る気持ちを抑え、平静を装おう。
ゲートオープン直後であればグリーンモンスターシートに潜入できる可能性があるので、打撃練習をそこから見学。HRが飛んでくる確立が半端じゃないので、ボールの1つや2つ拾える可能性大である。試合が始まったら狭いピッチの座席に体を押し込み、ほぼ身動きが取れないと考えたほうが良いだろう。
セブンスイニングストレッチを無難にこなした後は、フェンウェイ名物8回の『Sweet
Caroline』の大合唱である。できれば事前にYou Tubeで予習して合いの手だけは最低限押さえておきたい。その頃にはすっかりビールで出来上がった地元ファンと肩組んで観戦していることだろう。
尚、同曲のモデルとなったキャロライン・ケネディは次期、駐日米国大使候補と取りざたされており、もし日本に赴任したらこの曲で出迎えてあげよう。
試合後はホテルに直帰せず、路肩に出没するモグリの露店で非公認のレアアイテムを物色しよう。”Yankees
Suck”といったお下品アイテムは公認ショップではお目にかかれないので、気の利いたボストン土産として要チェックしたい。
何だ、俺結構ボストンを満喫してるじゃん。と思ってもやっぱり非エリートのヒガミが障害となり第2位!