2013年9月21日土曜日

独断と偏見で選ぶボールパーク・ベスト10 『第1位』

第1位/ヤンキー・スタジアム
- ホーム : ニューヨーク・ヤンキース
- オープン: 2010年
- デザイン: POPULOUS (旧 HOK SPORTS)
- 収容人数: 50,291人














かつてニューヨーク(以下NY)に存在していた3つのメジャーリーグ球団の中で、ヤンキースは人気・実力共にNYジャイアンツ、ブルックリン・ドジャースに後塵を拝していた。1919年のオフにベーブ・ルースがボストンから移籍してくるまでは。


それまでNYジャイアンツのホームグランド『ポロ・グラウンズ』に居候させてもらっていた(いわば東京ドーム時代の日ハム的存在だった)ヤンキースはルースの移籍後、彼の活躍によってファン層を急激に拡大し、いつしか家主の観客動員を上回るまでに立場が逆転していく。そこで、それに気分を害した当時のNYジャイアンツのジョン・マグロー監督がヤンキースにポロ・グラウンズからの立ち退きを命じたのだ。


むしろルースのブレイクにあやかってビジネスチャンス拡大をもくろんでいたヤンキースはこれ好都合と、自前の新球場建設を決断する。当初建設予定地にマンハッタンも候補に上がったが、土地の値段が高すぎて断念。結局居候先だったポロ・グラウンズからハーレム川を挟んだ対岸の冴えない材木置き場、ブロンクス161丁目に”初代”ヤンキー・スタジアムを建設する。



(※ウンチクその①:今となってはスタンダードになった野球場に「スタジアム」と名づけたのはココが初めてのケース。)


時は1923年、まさに空前の好景気に沸くアメリカの「狂騒の20年代」の幕開けとともに、”世界の中心”がロンドンからNYへと取って代わり、ベーブ・ルースとヤンキースが、ベースボールの、そしてアメリカ中の主役に躍り出ようとしたまさに前夜なのであった。


その後のルースとヤンキースの活躍と成功は周知の通り、これがヤンキー・スタジアムが「ルースが建てた家」と呼ばれる所以であり、それまで米国において単なる1スポーツに過ぎなかったベースボールが「ナショナルパスタイム」としての地位を確立した所以なのである。



(※ウンチクその②:ベーブ・ルースがこけら落としのゲームで記念すべき球場第1号を放ち、その後ココで通算259本ものHRを放つが、実はココの最多HR記録をはミッキー・マントルの266本である。尚、3位はゲーリックの251本。)


かくして「ヤンキースをポロ・グラウンズから追い出せば、影がうすくなってそのうち消えうせるだろう」というマグローの思惑は大きく外れた。そればかりか、この35年後にはNYジャイアンツがブルックリン・ドジャースとともに西海岸に移転する事になるとは、当時誰も知る由は無かった。



(※ウンチク③:ジャイアンツとドジャースが1957年に揃ってNYから去った後、1962年に新たにNYに誕生したメッツのチームカラーは、ジャイアンツのオレンジとドジャースのブルーをトリビュートしている。)



こうして1923年に開場した”初代”ヤンキー・スタジアムは、当時としては異例の3階建て、7万人収容可能な巨大施設として、その後数え切れない球史の震源地として君臨し、多くの優勝、殿堂入り選手、監督を生むことになる。そして85年の長寿を全うし、2008年にその役目を終え、現在のヤンキー・スタジアムへと歴史は受け継がれたのだ。



(※ウンチクその④:旧スタジアム跡は現在『HERITAGE FIELD』という草野球場&公園に生まれ変わり、草野球場の芝生の上にかつてのダイヤモンドの位置が青いペイントでなぞられている。)


さて、2009年にオープンした現在のヤンキー・スタジアムは本コラムでも連載してきたとおり、1990年以降ボールパーク建設ラッシュの主役となった設計事務所POPULOUS(旧HOK SPORTS)社が15億ドルという途方も無い予算を預かり、満を持して世に送り込んだ力作である。もちろん世界一建設費が高い野球場である。


エクステリアのデザインは1923年のオリジナルに限りなく近づける為、外壁にインディアナ石灰岩を使用。先代の無機質なグレーのコンクリート造りのエクステリアに比べて、黄土色がかった温かみのある表情になった。


フィールドのサイズは旧スタジアムと全く同一のまま再現され(唯一異様に広かったホームベースからバックストップまでの距離が短縮された)、センター後方には世界最大級のLEDビジョン(by三菱電機)を配備、コンコースにはもはやPOPULOUSの作品の定番となった、鉄骨とコンクリートのコンビネーションによるモダンな設計が採用された。フェンスの色も冴えなかった先代の水色から、ダークネービーになり、ぐっと大人っぽい印象に生まれ変わった。


球場内部の至る所にルースを初め、ゲーリック、ディマジオ、マントル、レジー・ジャクソン等々幾多のレジェンドたちの肖像、写真が散りばめられており、特に一塁側「GATE 4」から「GATE 6」にかけて「GREAT HALL」と呼ばれているコンコーススペースは、まるでパルテノン神殿を連想させるような荘厳な造りとなっており、思わずベースボールの神様にお祈りを奉げたくなる気分になる。


一般席とは隔てられたクラブレストランスペースやプライベートスイートはまるで高級ホテルか、3つ星レストランのような雰囲気で、思わずここが野球場だということを忘れさせるほどのクオリティ。特にプライベートスイートの部屋番号はかつてヤンキースに所属した選手が付けた背番号になぞられ、各部屋の入り口には歴代の選手の名前と写真が展示されている演出がニクい。スイート#55には、当然ヒデキマツイの名前と肖像が堂々と掲げられている。


ヤンキースはいまだにユニフォームの背番号の上に名前を入れないスタイルを貫いており、なるほどこの辺りのプライドを体現した演出なのではと推察することが出来る。「3」と言ったらルースだし、「4」と言ったらゲーリックだし、「2」と言ったらジーターでしょ。と。そこに説明は要らないでしょというのがココでのマナーになっている。



(※ウンチク⑤:野球で背番号を初めて採用したのもヤンキースで、当初は打順の通りに背番号が付けられた。だからルースが3で、ゲーリックが4になった。現在もユニフォームに名前を入れないのはヤンキースとSFジャイアンツだけ。逆にユニフォームに初めて名前を入れたのは1960年のシカゴ・ホワイトソックス。)


さて球場内部に話しを戻そう。「GATE 6 」メインコンコースフロアには「YANKEES MUSEUM」という展示スペースがあり、歴代のチャンピオンリングが鎮座している。圧巻は「BALL WALL」という展示で、こちらもかつてチームに所属した選手のサインボールがディスプレイに敷き詰められている。このディスプレイのモチーフは史上唯一ワールドシリーズで完全試合を達成したドン・ラーセンとヨギ・ベラのバッテリーにインスパイアされたシャレた演出になっているので必見。しかしアメリカ人のこうった類のディスプレイの巧さとセンスには毎度脱帽せざるを得ない。


(※ウンチク⑥:旧ヤンキー・スタジアムで達成された完全試合3回は同一球場最多記録であり、内訳は、1956年WSのドン・ラーセン、1998年のデイビッド・ウェルズ、1999年のデイビッド・コーン。ラーセンとウェルズはサンディエゴのPoint Loma High Schoolの先輩後輩という間柄であり、また、コーンが完全試合を達成した試合では、ラーセンが始球式を行ったという強い因縁がある。ラーセンはメジャー通算81勝91敗というごく平凡な投手であったが、いまどきの「持ってる度」で言えばハンカチーフガイや本田圭佑より上、と言える。)


歴代の永久欠番が祀られている「モニュメントパーク」は旧スタジアムからそのまま移転されてきており、現在はセンター後方に鎮座。試合前にはいまだに世界中からの巡礼者が後を絶たない球場随一の人気スポットとなっている。


(※ウンチク⑦:ヤンキースが指定する永久欠番はメジャーでも最多の16個。1、3、4、5、7、8、9、10、15、16、23、32、37、42、44、49。近い将来ジーターの2が加わり、場合によってはトーリの6も認められる可能性大。そうなるとヤンキースの一桁の背番号は完売となる。)


(※ウンチク⑧:旧ヤンキー・スタジアムでは一時期なんとモニュメントパークがセンターのフィールド内にあったことがある。が、邪魔すぎて移動させられた。)


チームストアの充実度も間違いなくメジャー1で、マグカップ、傘、靴下、ベビー服など、、何てこと無いアイテムにNYマークが入っているだけでファンならずとも物欲に駆られるから非常に危険である。女性がLVマークに飛びつくのと同じ心理であろうか。尚、”BOSTON RED SUCKS”といった類のお下品Tシャツは当然球場内のショップには売っていないので、欲しければ試合後場外に出没する露店のお兄ちゃんに聞いてみよう。



(※ウンチク⑨:いまや世界一有名かつ秀逸なスポーツチームのロゴと認められている、ヤンキースのNYマークは、ティファニーがNY市警の名誉勲章用にデザインしたものを流用したのが始まり。)


まあ、この球場の在り方を一言で表現するなら「ヤンキースブランド」の壮大なプレゼンテーションになっている、ということなのだ。この壮大なプレゼンの為に天文学的なカネをかけまくっているのは良く分るが、それ以上にこの球団の持つネタの多さに関心してしまう。よくもまあこれだけスベらんタレントが揃ったなと。。


一方で”最高”は時に”最悪”にもなり得るワケで、この辺のカネのかけ方が少なからず我々にも反映されているという点も見逃せない。それは例えば1試合2,500ドルを超えるネット裏のチケットであり、一杯13ドルのビールなのである。



また、同時に傲慢で態度のデカい係員、下品なブリーチャークリーチャー(※ライト外野席に陣取り、相手選手に容赦ない野次を飛ばす熱狂的なヤンキースファンの事)、この辺りの評価は球界でも最低レベルのものである。


”そこそこ”のチケットを購入しようものなら200ドル超えは当たり前で、もはやファミリーエンターテインメントの域を逸脱した価格設定となっている。ベースボールをナショナルパスタイムの地位に押し上げた立役者のヤンキースが、90年の時を経て全く逆行したトレンドを提案するとはなんとも皮肉、というかいかにもアメリカ的、かつニューヨーク的。こういった所が最も多くのファンを持ち、最も多くのアンチを持つ所以ではないだろうか。


それでもココには全ての野球を愛する人々を圧倒するだけの歴史と伝統があり、誰しもがその一部に触れたがっているということは間違いない。例えば多くの選手が「一度はピンストライプに袖を通してみたい」というのが本音であるように。



試合後にヤンキー・スタジアムで流れるフランク・シナトラの『New York, New York』の歌詞に耳を傾けてみると、まるでそんな人々の気持ちを代弁ているかのようである。


I want to be a part of it.
If I can make it there, I'll make it anywhere.
It's up to you, New York.. New York..

(※歌詞は一部を抜粋)



そう、あくまでit’s up to youではあるが、良くも悪くもヤンキースとヤンキー・スタジアムは、アメリカとベースボールの歴史を誰よりも体現してきた第一人者なのであるから、ココを1位にせざるを得なかった。。



しかし冒頭のベーブ・ルース以降、幾多のレジェンドに彩られてきたヤンキースとヤンキー・スタジアムの伝統も、リベラやジーターが去った後、誰が受け継いでいくのだろうかと未来に想いを馳せずにはいられない。


(※ウンチク⑩:20世紀の米国を代表するスター、シナトラは”野球発祥の地”とされている、ニュージャージー州・ホーボーケンの出身である。)