190cmの長身に褐色の甘いフェイス、天下のヤンキースのキャプテンにして、知的で闘志溢れるプレースタイル。5個のチャンピオンリングとヤンキース史上最多安打記録を持ち、引退後即背番号2は永久欠番確定でクーパーズタウン行きも間違いない。
生涯獲得年棒は250億円を超え、住まいはマンハッタン5番街のトランプタワー最上階をフロアでぶち抜き(最近引っ越したらしいけど)、私生活では幾多の美女と浮き名を流すプレイボーイ。その上オフにはチャリティ活動に精を出す(2009年にクレメンテ賞受賞)というナイスガイ。。
こんな完全な男、世界中見渡してもなかなかいないだろうな。
デレク・サンダーソン・ジーターは1974年6月26日、アフリカ系黒人の父チャールズとアイルランド系白人ドロシーの間に生まれた。異なる人種の両親の間に生まれた環境や、とりわけ父がライフワークとして取り組んでいたチャリティ活動が、以降の彼の性格形成に大きく影響と言われている。熱狂的なヤンキースファンだった祖母の影響で、幼少期のジーターの夢は既に「ヤンキースのショートストップになること」だった(この点については本人の引退表明文の中でも言及されている)。
ミシガン州カラマズーセントラルハイスクール時代、既ににその才能を開花させていたジーターは、1992年のドラフトでヒューストン・アストロズから全米1巡目1位指名を受ける、ハズだった。。
当初この若きスター候補を指名しようとしていたのは、当時アストロズのベテランスカウトだったハル・ニューハウザーであった。ニューハウザーは現役時代タイガースのエースとして活躍し、207勝をマークしていた実績のある人物だったが、控えめな性格で滅多に大げさに選手を褒める事はなかった。にも関わらずジーターに関しては「今後チームを何度もワールドシリーズに連れて行くような特別な選手。野球の才能も去ることながら、人格的にもこれほど優れた選手はいない」とフロントに獲得を懇願したものの、結局アストロズはその年、大学出身の内野手フィル・ネビンを獲得した。
結果的にアストロズが1位指名を見送った後、1巡目6位でジーターは運命的にヤンキースに指名されることになった。今でこそ”常勝軍団”というイメージのヤンキースだが、ジーターがメジャーに定着する前の過去30年(1965年-1994年)でプレーオフに進出したのはたった5度と、長きに渡る低迷に甘んじていた。
それがジーターのメジャー定着後は実に19年で17度もプレーオフに進出、うち5回のワールドチャンピオンに輝いた。まさにニューハウザーの予言がピタリと当たったというワケ。ニューハウザーはこれほど自信を持って薦めた選手が認められないのであればこれ以上スカウトを続ける意味が無いとして、これを機に球界から退いた。98年に死去するまでジーターの活躍をどんな想いで見守っていたことだろうか。
さてジーターはヤンキース入団後、数年マイナーで活躍した後、いよいよ1995年の5月29日に故障者リスト入りしたトニー・フェルナンデスの代わりにメジャー昇格、いよいよ伝説の幕が開けた。そういえば95年の5月といえば日本から海を渡った野茂英雄がメジャーデビューした月と同じで、この2人の活躍が前年のストライキから続いていたファンのフラストレーションを晴らすのに一役買ったことは言うまでもないだろう。
ちなみにこの時ジーターと入れ替わりになったフェルナンデスはその後2000年に西武ライオンズで1年プレーしており、記憶にある方もいるのではないだろうか。メジャーで大きな実績を残したにも関わらず謙虚だが、かなりの変人キャラとして有名だった。
その後ジーターは「MR. NOVEMBER」、「CAPTAIN
CLUTCH」といったニックネームと共に快進撃を続けたのは皆さんご承知の通り、何と言っても有名なプレーは2001年プレーオフの「THE FLIP」だろう。このプレーについては散々語られ尽くされているので、敢えてムービーだけ添付しておく。このプレーで本塁で憤死したジェイソン・ジオンビーが翌年ヤンキースに移籍するや否や「おいジーター、あのプレーの練習を見せろよ!」とジョークを飛ばしたのは有名なハナシ。
個人的に一番印象に残ってるプレーは2004年7月1日のレッドソックス戦の「THE DIVE」である。近くにいたAロッドが「死んだと思った」と証言したくらい激しいダイブだった。持ち前の甘いフェイスを怪我したジーターは、試合中バンドエイドで応急処置をしたのだが、翌日ヤンキースタジアムを訪れた多くの少年ファンが顔にバンドエイドを張ってきたというエピソードもファンの間では語り草である。
こうした知的で闘志溢れるプレーや、トレードマークとなった華麗なジャンピングスローでファンを魅了し続ける一方で、年々加熱するセイバーメトリクスの進化、セイバー教の発言力の増大に伴い、次第にジーターの守備力に疑問を呈する評論家が増えてくる。実はジーターは打球に対する反応が遅く、守備範囲が狭い、守備力は概ねメジャー平均以下。にも関わらず5度のゴールドグラブ賞は過大評価だと。。
こういった一部の評価に加え、前年の成績が振るわなかった2010年には、いよいよキャリアの黄昏時を迎えつつあったジーターの処遇にヤンキースのフロントは頭を悩ませていた。ヤンキース一筋で活躍してきたチームの顔だが、成績と年棒・契約年数のバランスを取る事が難しい。今や終身雇用が有り得なくなっているメジャーリーグにおいて、ジーターの流失もささやかれていた。
しかしながら結果的に3年50億という「誠意」を見せたヤンキースと契約を更改し、この時点で”生涯ヤンキース”がほぼ確定した。当時「払い過ぎでは?」とのメディアの批判に対した、ハル・スタインブレナーのコメントがこれまた秀逸だった。
「我々は彼の成績だけにサラリーを払っているのではない、”伝説”に投資しているのだ。。」
これまで通算打率.312、3316安打を放ってきたジーダーだが、打率、打点、本塁打での個人タイトルは一度も獲得したことが無く、守備力を疑問視する声もある。ただしジーターの価値はプレーオフで放った200以上のヒットや、5個のチャンピオンリング、何より20年の長きにわたって大きな怪我も無くメジャーのショートストップ一筋でプレーし続けたことでは無いだろうか。
かつてジーターとともに”3大ショートストップ”と称えられたガルシアパーラがキャリア晩年はファーストを守り、Aロッドが現在薬物使用疑惑の渦中にある姿とは一線を画す。
契約更改を果たした翌2011年7月10日にはキャリア3000本目のヒットをレフトスタンドへのホームランで達成。同年9月11日にはルー・ゲーリックを越える球団最多安打記録を更新。文字通り自らの”伝説”に花を添える形となった。
これまた余談だが、ジーターのキャリア3000本目のヒット(ホームラン)を幸運にもレフトスタンドでキャッチしたクリスチャン・ロペス君は、オークションで推定1800万円をゲットするチャンスを獲得した。にも関わらず、試合後ボールをジーターに返却する申し出を行い、関係者の賞賛を浴びた。かわりにロペス君は700万円相当のVIP待遇をヤンキースから約束され、ジーターも共同記者会見を開き、厚意を示したこういったエピソードからもファンのジーターへの尊敬を垣間見えることが出来る。(バリー・ボンズのボールだったら確実に売り飛ばされていただろう。)
最後になったが、やはりジーターといえば華麗なる女性遍歴のネタが外せないが、ココはESPNの企画『ジーターの元カノベストナイン』を拝借することにしよう。
結婚間近まで進んだミンカ・ケリー(キャッチャー笑)のどこがいいのかよく分らなかったが、敢え無く破局。個人的にはジェシカ・ビールとジェシカ・アルバの二大ジェシカで固めた右中間がまじ羨ましい。
ポサダ、ペティット、リベラ、そしてジーターが去った後のヤンキースやメジャーリーグを現時点では想像できないし、あと数十年はこれくらいのビッグスターに出会えるチャンスは無いだろう。球界全体を見渡して今後ポスト・ジーターと呼べるフランチャイズプレイヤーはいるだろうか。
ビッグチームで生え抜き、リーダーシップを持っていて、知的で闘志溢れるプレースタイルの野手。この条件に当てはまるとすればダスティン・ペドロイアやマイク・トラウト辺りの顔が浮かぶが、加えて「ハンサム」だとするとバスター・ポージーが筆頭候補だろうか。個人的にはルーキーイヤーからポージー推しなんで、今後の球界を牽引する存在になってってもらいたいな~なんて思いを胸に、今季のメジャーリーグを眺めて行きたいと思う。