2008年1月31日木曜日

聖地 (はじめに)

昨日は大阪に行き、うんちく検事とミーティングを。



帰りの新幹線でたまたま隣に座ったアメリカ人のおばあちゃん(推定70歳)がやたら話しかけてきたので、話を聞いてると何でも「灯台」マニアらしい。日本は世界でも稀にみる灯台の宝庫らしい。



そして彼女ははるばるニューヨークから時間を見つけては、南は鹿児島から北は北海道まで、日本中の灯台を巡っているらしい。結局灯台の魅力を2時間以上も語ってくれた。ディープな世界である。



ちなみに日本の次に灯台が素晴らしい国は?と聞くと迷わずチリ!と言っていた。思わずへぇ~。と。



尚、デカが知ってる灯台は江ノ島だけである。












これではお前はうんちく検事とミーティングをして、おばあちゃんと灯台の話をしながら帰ってきただけなのか?なんてお叱りを受けかねない内容だが、ちゃんと甲子園球場(以下甲子園)の改装についての捜査を行ってきた。




皆さんご承知の通り、2007年オフから2010年の開幕にかけて甲子園は徐々に改装されていく。伝統を継承しながら、最新鋭の設備が部分的に投入されていく予定。



工事は全てオフシーズンという徹底ぶりで、春・夏の高校野球やプロ野球の開催に影響は与えない。ただしタイガースが08年、09年シーズンにプレーオフ進出した場合のみ、他球場(京セラドームorスカイマーク)を臨時ホーム扱いとする。


以前は新しいドーム球場を建設するなんて噂もちらほら聞こえてきたが、あえなく断念。(良かった…)



いずれにしろ「建て替え」ではなく、「改修」という選択をしたからには、これからも永遠の聖地として現役で頑張ってもらいたいものである。




ということで今後数回に渡り、今までの甲子園とその個性を振り返るとともに、改修のポイントについて触れて行きたいと思う。



2008年1月28日月曜日

余計な心配

デカは仕事柄スポーツ紙をほぼ全て見てるけど、塾高甲子園出場の記事は予想以上に大きく取り上げられていた。ネット上でもしかりである。


というのもやはりエースの田村君が力道山の孫であるから。


マスコミにとって相当キャッチーなネタであることは間違いないし、母校の記事を色々な所で発見すること自体は嬉しい。


しかし田村君に話題が集中しすぎて、彼1人にプレッシャーが掛かったり、チームの調和が乱れないかと心配にもなるわけだ。


先日結婚の報告に日吉のグランドまで行ったアゴさんの話によると、上田監督のマスコミへの対応も大変そうだとのこと。事実当日も数社がグランドまで押しかけていたそうだ。


まあ、当時のデカなら舞い上がって勘違いしていたかもしれないが、大舞台に慣れている今の選手たちにはそんなこと関係ないか・・・


そう願いたい。


3年前は中林1人に頼っていた投手陣だが、今回は田村・只野の左右2枚看板で心強い。一つでも多く勝って、一試合でも多く甲子園での雄姿を見せてくれ。


しかしセンバツがレッドソックス開幕戦と日程が重なる心配もあり、パーマンばりにコピーロボットが欲しいくらいだと、今から余計な心配をしているわけである。


エンジョイベースボール♪

2008年1月25日金曜日

速報

みなさんの予想通りといえば予想通りですが。


良かったですね。


またみんなで西宮に集合出来るといいですね。


前回雨天中止で試合を見れずに帰った人も、出世したくて会社を休まなかった人も、今回はリベンジできると良いですね。


春に向けて楽しみが一つ増えました。


後は組み合わせと日程次第。


エンジョイベースボール♪

2008年1月22日火曜日

神にまつわるエトセトラ

先日最後にちょこっと触れたチャンピオンリングについて、話しをもう少し。




リングの製作数や、授与対象者は特にこれといった規定は無く、チーム(というかオーナー)によって都度決められることになる。

















前回のホワイトソックスの場合は途中放出・解雇した選手はもちろん、球団職員全員にも作ったらしく、シカゴの友人保安官は太っ腹のオーナーが全員に作って費用も負担してくれたんだぜと、自慢げに語っていた。金額までは聞かなかったが、決して安くは無い代物だろう。




そのオーナーこそ、ジェリー・ラインズドルフである。尚、彼は同じシカゴのNBAチーム、シカゴ・ブルズも保有している。ホワイトソックスにもブルズにもあまり金をかけて選手を取らないケチオーナーとファンからは陰口を叩かれているが、チャンピオンリング製作時だけは太っ腹だったらしい。




ご存知ブルズではマイケル・ジョーダン擁して黄金時代を経験した同氏だが、ホワイトソックスのワールドチャンピオンはそれとは比較にならないくらい喜んだらしい。いかんせんこっちは88年振りだもの。


















ここで一つ思い出されるのが全盛期のジョーダンが突如引退→メジャーリーグに挑戦すると言い始めたことを。勘の鋭い皆さんならもうお気づきだろう。





当時いくらなんでもそれは無理だろと思っていたファンの心配をよそに、早々に2Aバーミンガム・バロンズ入団を決めたジョーダンだったが、実はココはホワイトソックスの傘下のチームであったのだ。つまりラインズドルフの差し金によるコネ入団だと。



















かくしてメジャーを目指して野球に打ち込んだジョーダンだったが、結局2年間挑戦したのち、最後までメジャーに昇格すること無く再びNBAに戻った訳である。本気でメジャーデビューを目指していたものの、時は95年、長引くストライキに業を煮やしてNBA復帰を決めたらしいが、最後まで諦めずに頑張ろうとジョーダンを励ましていたのは当時バロンズの監督だったテリー・フランコーナだった。




















そう、現ボストン・レッドソックス監督である。





面倒見が良く、人望も厚い同氏にファンは多いが、バスケットファンからは、フランコーナがジョーダンを暖かく励まし続けたせいで、NBAへの復帰が1年遅れたなんて憎まれ口を叩かれたくらい。




当時の友情は今も続いてるそうで、野球好きのジョーダンは試合観戦にかこつけて度々フランコーナの元を訪ねているそうだ。




話は変わるが、昨年松坂がメジャー移籍した時のスプリングキャンプは空前の大フィーバーとなり、日米のマスコミがわんさかキャンプ地に押しかけたのはご記憶に新しいはず。




当時監督のフランコーナは、こんな人だかりはあの時以来だな~なんて、以前のジョーダン・フィーバーを懐かしむような余裕のコメントだったわけである。




なんかこの人いつもニコニコしててデカは好きなのだ。




ラミレスやオルティスといった猛獣達はおろか、神様まで手なずけてしまうんだから、この人きっとタダモノではないはずだ。

2008年1月21日月曜日

ミスター・ゼロ

高津、カブスとマイナー契約。


先週末流れた小さな扱いのニュースではあったが、実は個人的に気になっていた事なので、思わず目に留まった。



正直昨季で引退だろうと予想していたが、またまたアメリカで現役を続けるようだ。そのモチベーションは一体何なんだろうと。




高津は高校時代デカの好きな投手の一人だった。




ヤクルトの黄金時代を支え、古田とのバッテリーは90年代のプロ野球を代表するコンビといっても過言ではないはず。何度見ただろう、この姿を。
















しかし海を渡ってメジャーに挑戦したあたりから皆さんの記憶から徐々に印象が薄くなっていったことと思う。



一般的にアメリカでの活躍と人気はあまり日本では広く知られていないが、ファンの1人として当時の様子を伝えたいと思う。




なぜあまり日本で報道されなかったかと言うと2004年(高津移籍1年目)はイチローが年間最多安打の記録を更新した年であり、ほとんどメディアの扱いがそれに偏ってしまったからだとデカは推測する。






とにかくメジャー挑戦初年度はトライアウトの末ホワイトソックスへ入団→当初は中継ぎ→好調が続き→シーズン後半は抑えに昇格。伝家の宝刀シンカーと、クソ遅いカーブ(日本ではほとんど投げてなかった)で並みいる強打者を討ち取っていく姿は実に爽快だった。



日本から来たオッサンピッチャーが100km/h前後の球で空振りを取るたびに、地元ファンはメチャクチャ喜んでいた。




ある日、高津を温存して別のセットアッパーで逃げ切ろうなんてベンチの魂胆が見えたときには、スタンドが総立ちでシンゴコールを始めたものだ。案の定セットアッパーがランナーを溜めるといよいよ高津の出番。やたらカッコいい音楽とビジョンの映像に乗って登場する訳である。イッツ・シンゴ・タイム。

 














そして、ついたあだ名はミスター・ゼロ。



センスの良さそうなアメリカ人もダサいニックネームをつけるものだと唸ったものだ。













高津登場の際にはわざわざ日本語でビジョンに流したり、グッズも日本語のプリントを施したTシャツなんかがチームショップに並び、ちょっとしたミスター・ゼロのブームを巻き起こしていた。




まあ、とにかく日本では想像できないほど当時シカゴでは凄まじい人気を誇っていたわけである。















かくして大成功を収めたのだが、翌2005年はシーズン当初から不調が続き、そのまま解雇。メッツに拾われ再びメジャー昇格を果たしたものの、結局その年を最後にヤクルトへ復帰。


復帰後の2年間もあまりパッとしなかったが、もう一度あの当時の歓声を浴びたい!!という高津の執念が今回の契約に結びつけたのではと勝手に想像する。





ちなみに、当時高津を解雇したホワイトソックスは皮肉にも、その年88年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。あぁ、あと一年早ければ・・・




でもそれまでのチームへの貢献が認められ、途中移籍したにも関わらずチャンピオンリングを贈られたそう。ある意味ラッキーである。





尚、日本人選手のチャンピオンリング保持者は高津の他に5人。(伊良部)、井口、田口、松坂、岡島。羨ましい限りである。バリー・ボンズも持っていないのに!