2008年7月18日金曜日

カリスマ

1995年に野茂が初めて海を渡った時の年棒は1000万円足らずだったと言われている。日本では既に1億5000万円程度を稼いでいたのにも関わらず。




いかに当時日本人選手の評価が低かったか?というより、アメリカ人が間近に日本人選手なんて見たこと無かったわけだから、当然といえば当然だったのかも知れないが。




それから13年、猫も杓子もメジャー挑戦の時代、今日の”日本人バブル”の礎を一人で築きあげた。






















伊良部、新庄、佐々木、イチロー、井口、W松井、松坂、等々、野茂以降メジャーを経験した33人の日本人選手の道を切り拓いてきた。
























新人でオールスターゲーム先発、両リーグでのノーヒットノーラン、日米通算201勝、日本人選手として初ホームランを放つ等々、野茂の実績は各新聞やネットを参考にして頂きたいが、何故これほどまでに野茂はメジャーにインパクトを与えることが出来たのか?




野茂が典型的な「パワーピッチャー」だったからだとデカは思う。



















日本人ピッチャーならではの制球や多彩な変化球で打者を打ち取っていくのではなく、まっすぐとフォークだけでグイグイ押してくタイプのピッチャーだったから。





全盛期の野茂はたった2つの球種だけでメジャーリーガーを”力で捻じ伏せていた”し、あの類のピッチングが出来るピッチャーは今後そうそうは出てこないのではと思う。





ピッチングが上手いとか、ボールにキレがあるとかじゃなくて、当時の野茂は完全に打者を圧倒し、試合を支配していた。 マウンド上でフーっと大きく深呼吸して振りかぶる姿。。。あの勇姿を決して忘れない。























それが多くのアメリカ人の、いわゆる”日本人感”を覆したのではと推測する。





ましてやあの見たこともないトルネード投法ときたら、まさにアンビリーバボーだったワケである。





メジャーのストライキが明けた年に野茂がデビューしたことも、失望していた多くのファンに希望を与えたと言う。






同時にその姿は衛星放送で日本にも流されるようになり、今ではほぼ毎日メジャーリーグをTV観戦できる環境に整えられていった。





放映権、ライセンス、グッズ、スポンサーシップ、等々の売り上げを見ても今日黄金時代を迎えているメジャーリーグが、野茂の活躍以降どれだけ恩恵を受けたことか。 とにかくその影響は計り知れない。





各誌で報じられている通り、本人は「悔いの残る引退」だと位置づけているらしいが、その理由はあと82に迫っていたメジャー通算2000奪三振だったのか、叶えられなかったワールドチャンピオンなのか分からない。





しかし仮に日本球界に復帰なんかしたとしたら、、、客寄せパンダのようになってもらいたくなかったし、そうならなくて良かったと思う。





世界広しといえども、これだけ無口で無愛想で笑顔の少ないカリスマはいないと思う。これまで右腕一本で周囲の雑音や批判を封じ込めてきた。残してきた功績や、人々に与えた希望は今更こんなところで語りつくすことなんて出来ない。

























いつものように「まあ、別に・・・」と言いながら、これからの野茂が一体何を考えるのか気になるところである。

























渡米以来、マイナー、メジャー、時には南米の独立リーグまで”ジャーニーマン”として毎年チームを転々とし、野球を続けてきた野茂だけに今さら「自分探しの旅」なんてモノには出て欲しくないと思うが、ハテいかがなものだろう。





そんなワケでか何のワケだが分からないが、デカもしばし旅に出てくるとする。


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