2009年7月29日水曜日

多忙。

なんとも忙しい一日だった。



また終盤8回に追いつかれて、今日もマリナーズはダメかと一瞬思ったが、結局はイチローのサヨナラヒットでチームは連敗脱出した。





しかし、イチロー自身、9年にも及ぶメジャーのキャリアで、初のサヨナラヒットだったのね。



すでにメジャーで2,000本近くヒットを打ってるのに、、、そこまで縁が無かったとは知らず、ビックリした。



そんな試合を朝から見てたら、もっとビックリしたのは、先日完全試合を達成したばかりのマーク・バーリーが今日も完全試合を進行中との速報が。


思わずMLB.comのリアルタイム速報に釘付けになり、結局は6回ウラの四球で記録は途切れたものの、



先日の完全試合から連続45人!出塁を許さなかった記録は、メジャーレコードを更新し、新記録となった。






(尚、これまでの記録は41人で、その下が40人、39人、38人と続いていく為、一挙に4人も更新となった。)



バーリーは完全試合を1.5試合以上(27アウト+18アウト)続けた計算となり、ジミだけどこの記録って相当スゴくないかと思う。



パワーピッチャー全盛の時代に、88マイル(140km/h)程度のファストボールと多彩な変化球で、並みいるパワーヒッターたちを、ここまで打たせて取れるものかと感心すると共に、守りきった守備陣にも拍手を送りたい。



しかし、記録が途切れて気落ちしたのか、その後バーリーは打ち込まれてしまい、負け投手となった。


んで、午後になると埼玉、茨城、東東京、神奈川の地区大会決勝戦が始まり、釘付けになってしまう。



何と言っても桐蔭と横浜隼人の決勝は昨年の決勝戦に負けず劣らずの好ゲームとなり、ご存知の通り、延長11回に及んだ死闘を隼人が勝ち取った。




しかし春・夏通じて初の甲子園出場に立ち会った後輩のHくんは相当引きが強いなと感心したが、ラッキーではなく、彼の努力が”Part of it”だと言うべきだろう。




最近は姉ちゃんまで話題を振りまいており、なんとも忙しい奴だ。




おめでとう。



ちょっと調べてみたのだが、神奈川県の(夏の)代表校は過去10年にさかのぼっても、たったの5校に絞られていたんですね。



5校の内訳はと言うと、、、



横浜が5回、桐光が3回、慶應、桐蔭、商大が1回ずつとなっており(慶應・横浜は同時出場)、



さらにもう10年遡っても、(横浜・平学)、桐蔭、横浜、日藤、横浜、商大、桐蔭、桐蔭、Y校、横浜と顔ぶれはほとんど変わらない。



約200校がひしめき合う神奈川で、なんとも実力が偏ってるなと改めて思った。そして改めて横浜ってすごいよねと思う。これ参考。



さて、水谷監督が虎キチであり、同校のユニフォームもタイガース仕様にしてしまったことは既にマスコミの取材によって明るみになってるが、僕らが現役の頃の隼人のユニフォームのディテールが変わっている事に気付いた。




阪神がユニフォームのデザイン変更するたびに、隼人も変更してたんだって。手が込んでますな。




果たしてコレが虎の本場関西でどう受け入れられるかは分からないが、甲子園で一暴れして頂き、隼人のような勢いのある高校が来年以降も神奈川の勢力図をドンドン塗り変えていくことを願っている。




母校の活躍はもちろんだが、そういうのもオモロイと思います。




って観点から見ると、東東京の都立雪谷なんて国士舘を破り期待してたんだけど、決勝は残念だった。しかし20点目をスクイズでもぎ取った帝京はエグい。。。



まあ、昔からM監督のヤリクチは、ある意味ブレてないと言えばブレてないけど。



さすがにこれだけ一日中野球見て、夜はプロ野球見ましょうって気にはなりませんわ。



ひとまず休憩し、今週末は高校野球が始まる直前の甲子園球場で、さかなクンと共に伝統の一戦を堪能してこようと思う。



2009年7月24日金曜日

アイラブバーリー

以前にもチラッと話したことがあるが、僕が初めてメジャーリーグの試合を見た夜。




2004年9月のシカゴ。







その年、ジョージ・シスラーの年間安打記録を塗り替えたイチローが、その夜5打数5安打を放った。




3打席連続でヒットを打たれた時点で、マウンド上にいたホワイトソックスのエース、マーク・バーリーは1塁ベース上のイチローに帽子を取り、もう投げる球が無いよと、文字通り”脱帽”した。




そんな茶目っ気タップリな姿や、若いながらもコーナーを140キロ前後のファストボールと、スライダー、カーブ、チェンジアップをていねいに出し入れする、クレバーで老練なピッチングを展開する実力に一目ぼれしたのをハッキリと覚えている。




試合後、ダグアウト裏で気さくにサインや写真撮影に応じてくれたナイスガイぶりも非常に印象的だった。





以来、「デカの一番好きなメジャーリーガーは?」と聞かれると、決まって(ピッチャーなら)マーク・バーリーと言うことになっている。(無論バッターならジュニアである。)




さて、そんなバーリーが今朝、メジャー史上18人目の完全試合を達成した。







約130年にも及ぶ、メジャーの歴史の中でたったの!!18人目(18回目)の快挙である。(尚、前回の達成者は2004年のランディ・ジョンソン。)




一方ノーヒットノーランはメジャー史上、217回も達成されており、いかに完全試合が至難の業か、、、お分かりいただけるだろう。






ちなみにバーリーは2007年に一度ノーヒットノーランを達成しており、その時は四球一つのみという”準完全試合”であった。(さらに四球で出したランナー(当時レンジャースに所属していたサミー・ソーサ)をけん制で殺しており、実質27人で試合を終わらせている。)




その記憶が新しいファンからしてみると、前回のノーヒッターがフロックではなかった事を、今回改めて証明した形になっただろう。遂にやってくれたかと、感無量である。。。






余談だが、2007年のバーリーのノーヒッター、今回の完全試合と上記2試合ともエリック・クーパーという、同一人物がアンパイアを務めていたらしい。さらに2001年の野茂のノーヒッターの時のアンパイアも務めていたらしい。。。




さて、今回の完全試合、打たせて取る典型的な技巧派投手であるバーリーが、いかに守備陣にプレッシャーを与えたか想像に難くないが、最大のクライマックスは9回無死からタンパベイ・レイズのキャプラーが左中間に放ったホームラン性の打球を、スーパーキャッチした、ワイズの超スーパープレーである。




フェンスを越えていくであろう打球をジャンプ一番でつかみ、一度はグラブからボールがこぼれたが、地面に転がり込みながら、何とか再キャッチした。




これは大げさではなく、恐らく球史に残るであろうファインプレーとなるだろう。YouTubeであげてもすぐ削除されてしまう可能性あるため、ホワイトソックスのウェブサイトで各自確認していただきたい。




これは必見だ。



さて、勘の鋭いG党の方ならもうお気づきかもしれないが、この大飛球を放ったキャプラーは半年だけ、巨人でプレーした経験がある。





当時2004年にワールドチャンピオンに輝いたレッドソックスのメンバーとして、鳴り物入りで入団したものの、鳴かず飛ばずのままシーズン途中に帰国した彼である。



尚、キャプラーはメジャーでも屈指のボディビルダーとしても有名な変り種選手である。そんなに筋肉付けて野球できないだろにうと、心配にもなるが如何なものだろう。






話しが逸れかけた。





今日の完全試合終了後、クラブハウスのバーリーに早速オバマから祝電が入り、リラックスして電話で話している姿も公式ホームページで確認できるので、ファンならずともチェックして頂きたいことろである。




この勝利で、バーリーはア・リーグのハーラートップに立ち(11勝3敗)、ホワイトソックスも首位タイガースに並んだ。




メデタイ尽くしのこの勝利は、1勝以上の価値がアルと断言したい。




今夜は祝杯だっ。

2009年7月21日火曜日

”夏”という名の宝物

今年の選手権大会(いわゆる夏の高校野球)のキャッチフレーズ。





何か、一見単純だが、深いフレーズである。



僕は夏が好きだ。




優勝候補の一角と目されていた後輩達の夏は、意外にも短かったが、共に切磋琢磨し、闘った仲間と、その思い出は一生の宝物となるはずだ。






僕らの夏も長くは無かったが、いまだに決まってこの季節がやってくると胸が高鳴るのは、きっとそのせいである。




ふとそんなことを思った連休最終日であった。



色々な意見もあるかと思うが、創部以来初めて明治神宮大会を制し、センバツも戦った彼らに、これ以上何の注文が付けられよう。



とりあえず、お疲れさんでした。。。

2009年7月16日木曜日

南の島のモノガタリ

MLBのオールスターゲームにおいて、自身が大ファンのホワイトソックスのフィールドジャケットに身を包んだオバマ大統領と、彼の始球式のボールを受けた地元セントルイスの若きスター・プホールズいわく。






「あんまりいいボールじゃなかったらそのジャケットのせいだと言おうと思ったよ」

という冗談交じりのコメントを取材した某記者の記事は、思わず笑みがこぼれてしまうような素敵な内容だった。




さて、今回の始球式に登場したことをキッカケに、オバマがイチローのプレーに注目していたことや、広く野球に精通していることが報道されたが、さすが”ハワイ出身”と思わざるを得なかった。




そう、意外かもしれないが、太平洋のど真ん中に浮かぶ”常夏の島ハワイ”は、野球との関わりが非常に強いのだ。





歴史をさかのぼれば、現代野球の父と呼ばれている、ニューヨーク生まれのアレクサンダー・ジョイ・カートライトが、晩年をハワイで過ごしたことから始まる。




これはカートライトが野球のルールを制定してから、わずか3年後にNYからハワイに移住してきたため、メインランドとほぼタイムラグなしに、ハワイでも野球人気が広がったと伝えられている。




1926年には当時としては巨大な木造式のホノルル・スタジアムが建造されており、先住民、日系人、白人とそれぞれフランチャイズが作られ、活発なリーグ戦が島内で繰り広げられていたそうだ。(同スタジアムは70年代に取り壊され、現在跡地にはフットボール専用のアロハ・スタジアムが建っている。)






時の大スター、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックといった面々もハワイと訪れ、地元ファンの前でプレーを見せ付けたそうだ。




そんな野球王国ハワイで産声を上げたウォーリー与那嶺こと、与那嶺要が戦後すぐに読売ジャイアンツで活躍したことも、特に日本球界に与えた影響という意味では大きいだろう。セーフティバントや、フックスライディングは彼がハワイから初めて日本に持ち込んだ画期的なプレーだった。








60年代から80年代終わりにかけては『ハワイ・アイランダーズ』という、マイナーリーグ・トリプルAのチームが活躍した。見よこの脱力系な、いなたいロゴを!






その後は一度ハワイから野球の火が消えかけたが、1993年より”伝説”の『ハワイ・ウインター・ベースボール(以下HWB)』の誕生をもって、再びハワイに野球が帰ってきた。





HWBの創始者であり、地元の名士ドゥエン・クリス氏が私財を投入して、島内の野球復興に貢献しようとしたのだ。尚、クリス氏は現在もサンフランシスコ・ジャイアンツの共同オーナーでもある。




同リーグは1993年~97年に開催され、一度は財政難に陥っていたものの、再び2006年~2008年も復活。日本プロ野球はもとより、韓国や、米マイナーリーグから、多くの有望な選手が武者修行の為に、冬のハワイを訪れ野球に明け暮れた。




特にHWB元年に日本からやってきた鈴木一郎という青年が、同リーグで初代MVPを獲得し、即同年日本に戻り、210本安打の日本記録を放ち、首位打者を獲得したエビソードは語り草となっている。





その後のイチローの活躍は言わずもがな。かくして南の島ハワイから始まった、彼のサクセスストーリーは昨日のMLBオールスターゲームまで途切れることなく続いている。




ちなみにイチローとほぼ同時期に、ジェイソン・ジオンビーやデレク・リーなんかのビックネームも同リーグで切磋琢磨していた。




さらに後に日本からHWBに派遣された若き日の、松井カズオ、岡島、井口、城島、田口、新庄らが、後にこぞってメジャーリーグに移籍していったのは、ハワイでの経験が少なからず影響しているハズだ。




そういや、ちょうどこの辺りの時期に野茂が海を渡っている。





90年代にはオアフ島、カウアイ島、ハワイ島、マウイ島にそれぞれフランチャイズを構えたが、2006年には効率性アップのためか、全4チームがオアフ島に集められた。




その頃には確か、巨人から亀井や、辻内なんかも参加していたな。亀井はその後ブレイクし、辻内はそのまま日の目を見ないままだが。




結局一度は復活したHWBも残念ながら、今年からまた休止状態となっており、メジャーリーグの利便性が優先されたのか、ウインターリーグ自体がアリゾナに移転されることが既に正式決定している。




果たして、また南の島に野球が戻ってくる日はあるのだろうか。。。




さて、最後に今は無き、HWBの個性的なチームロゴを紹介しよう。どれもハワイならではのユルさというか、常夏っぽい色使いが、メインランドには絶対ないだろうという独特のセンスを持つ。









海ガメがバット持って構えてるキャラなんて、恐らくハワイ以外では考えられまい。




各チームのTシャツとか正直かなり欲しいのだが、もはや現地でも購入することが出来ず、唯一オンライン上で商品を閲覧できるが、ちゃんとデリバリーされるか怖いので、1年以上も躊躇しているのだ。。。








先のオバマも地元、ホノルル・ビーチボーイズのジャケットでも着て始球式に臨んでいたら、僕もさぞ萌えたのだが。

2009年7月2日木曜日

ショウタイム

女性は土俵に上がれなくとも、、、










マウンドには上がれる。





そんなことをふと思った先日の浅田舞の始球式であった。





日米の始球式は似て非なる。





アメリカでは「(Ceremonial)First Pitch」と呼ばれ、開幕戦や、オールスター、ワールドシリーズでは、各チームのレジェンドや、時には大統領をはじめとするVIPがマウンドに立つものの、通常のレギュラーシーズンの場合は特に目立ったイベント性の高いものは滅多にない。




大体試合前の整備中や水撒き中とかに、いつの間にかやって、いつの間にか終わってるし。そもそもバッターもボックスに入らないし、お約束のわざと空振りするようなパフォーマンスもない。




基本的に「First Pitch」は地元のキッズや、スポンサー関係者の為にあるもので、特に著名人がマウンドに立つわけではないし、流れ作業のように1試合に2、3人投げることも珍しくない。




意外にも「First Pitch」の方が、「始球式」よりも敷居が低く、比較的万人に門戸が開かれているといっても過言ではないだろう。




ここで”超満員”のシカゴ、USセルラー・フィールドで始球式をする豆つぶ大のデカの姿を。(やる気のない女房役は当時ホワイトソックスで活躍していた高津。)





さて一方、日本では番宣に利用するテレビ局や芸能人、アイドル、スポーツ選手のためにのみ門戸が開かれており(一般的には)、特に近年はイベント性の高い「始球式」が目立つ。




ボールをリリースすることが出来なかった小渕元首相はともかくとして、イケメンの芸能人がうっかりオカマ投げで失笑を買ったり、スポーツ選手の場合でも種目が違うと、こうもうまくボールを投げないものかと、見ていておもしろい。







しかし何をやっても可愛い遼タン。








横綱・白鳳は巨体を揺らして迫力のナイスボールだったと記憶している。(しかし何故この背番号をチョイスしたのだろう。)






そんな中、野球ファンの度肝を抜いたのは室伏広治。おもむろにわし掴みでボールを握り、アームだけで投じたボールはアウトローのキャッチャーのミットにドスンと収まり、球速は131キロを記録した。





やはりこの男、タダモノではないと確信した瞬間だった。





みなさんも記憶に新しい、サワヤカだった戸田嬢はともかく、






最近は過度な露出や、行き過ぎた演出が目立つ気がしなくも無い。











正直キライじゃーないんだけど。。。ちょっと違和感がある。





中でもハイヒールでマウンドに登った某歌手は完全に論外である。通常、フィールド上は関係者、記者含め、ヒールはご法度とされている。







本人のKYっぷりと、野球を知らないであろうアホなスタッフはともかくとして、せめて野球好きを自認している彼氏から一言注意が欲しかったところである。折角マウンドを固めたグランドキーパーと、これから登板する先発投手に対して失礼極まりないではないか。。。






やはり女性とはいえ、スポーツ選手は能力が高いのだろう、カーリングのチーム青森・本橋の、開かない上体、適度なステップ幅、胸の張りと、投球フォームは申し分ない。







さらにその上を行くのはメジャーで投げた桃子。








自慢の下半身は堂々の粘り。




女王はつい血が騒いでしまったのか、まるで往年のクレメンスのような気合だ。







あれこれ見てると興味が尽きないものだが、最後に「セクシー」さと「強さ」を融合させた究極の始球式を。(写真右は関係ない吉岡美穂。)






















始球式後に本人も、「サービスしすぎちゃったかな♪」とコメントされたとおり、意図的に短く切られた上着から覗く、割れた腹筋がマニア心を放っておかない。






コレには一流スラッガーの佳くんもキリキリ舞いだろう。








一本!!