にわかに信じ難い、ペイジの二グロリーグにおける実績は、、、2500試合に登板し、2000勝をあげ、うち完封勝利350、ノーヒットノーラン55回、など枚挙に暇がない。
今日では既に二グロリーグ自体が伝説化しているため、当時のメジャーリーグとのレベルの違いに疑問を持つという意見も多いだろうが、例えば1930年に二グロ選抜とメジャー選抜が対戦した試合では、ペイジは22奪三振を奪い、完封勝利をおさめている。
当時ペイジの投球練習を見たベーブ・ルースの顔がみるみる青ざめていき、そのままベンチ裏に引っ込んでしまったとか、先のボブ・フェラーの「俺のストレートは彼のチェンジアップ」発言や、ジョー・ディマジオが、「対戦した中で最も素晴らしい投手だった」と評価するなど、球界のレジェンドたちのペイジに対する評価がまた彼を神格化している。
ペイジの速球について、当時の関係者は口をそろえて、170キロ以上は出ていたとか、ペイジとノーラン・ライアンを両方受けたと言うキャッチャーは、ペイジの速球は大体179キロくらいじゃないかという意見もある。(てか、そもそも179キロって捕れるの?)
1947年にジャッキー・ロビンソンが有色人種初のメジャーリーグデビューを果たした翌年、ペイジもまた念願のメジャーデビューを果たした。黒人初のピッチャーとしてマウンドに上がった時、既に彼は42歳を迎えていた。
ペイジいわく、「出生証明書はヤギが食っちまった」らしく、実はもっと高齢だったのではないかと言う憶測もある。「もしも自分の年齢を知らなかったら、今の自分を何歳だと思うかね?」という名言を残しており、真相は闇のままだ。
結局ペイジの速球が何キロ出ていたのか分からんが、彼の登場があと20年、30年遅ければ、数々のメジャーリーグの投手記録を塗り替えていたということは、想像に難くない。
1971年に野球殿堂入り、伝説は伝説のまま後世に語り継がれていく、ということだろう。。。
と、キレイにまとめたかったのだが、もう一回続く。
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