ところが同チームにまだ”ニックネーム”が無いことを知った、当時世話役だった、フランク・オドールにより、『東京ジャイアンツ』を提案される。
理由はオドール自身がニューヨーク・ジャイアンツの選手であったこと、ジャイアンツが当時アメリカでも最も人気のあるチームの一つだったことが挙げられるが、以後それが定着する。
正式名称も東京ジャイアンツから、いつしか日本語読みとなり、東京巨人軍、読売巨人軍と変化して行った。。。
これが日本におけるプロスポーツチームのニックネームの起源と言われている。
翌36年に誕生した阪神は、米国屈指の工業都市であった、デトロイトを、地元・阪神工業地帯の姿と重ね合わせ、デトロイト・タイガースから、『タイガース』を拝借した。
同じく36年に誕生した中日は、当初「名古屋軍」と呼ばれていたそうだが、当時・親会社の中日新聞社長の杉山”虎之助”の名前にちなんで中日タイガースにせいっ、て言ったらしいけど、「社長、タイガースはもう大阪で使われています!」って話しになったらしい。んで、虎之助の干支が、”辰年”だったため、そのまま『中日ドラゴンズ』になったそうだ。
戦後、広島復興のシンボルとして誕生した”広島カープス”は、地元出身の政治家、谷川昇によって名づけられた。
鯉自体が出世魚であり、元々広島市内を流れる太田川が鯉の産地であったこと、広島城が”鯉城”というニックネームを持っていたことが決め手となった。谷川自身ハーバード大を卒業したほど英語が堪能な人物だったらしいが、後に市民からCARPは単複同形じゃね?という指摘が入り、結局『広島東洋カープ』となった。
僕が知る限り、世界中でも類を見ない「~S」とニックネームが複数形にならないチームである。
『(東京)ヤクルト・スワローズ』のニックネームは、前身である国鉄時代、国鉄唯一の特急列車が「つばめ号」だったことに由来しているらしい。
国鉄スワローズ→サンケイ・スワローズ→サンケイ・アトムズ→ヤクルト・アトムズ→ヤクルト・スワローズ→東京ヤクルトスワローズと変遷していった。
『横浜ベイスターズ』は、横浜港と星にちなんで。前身の大洋ホエールズは、いわずもがな、大洋漁業(現マルハニチロ水産)が捕鯨を得意としていたため。
こちらも親会社が変わるたびに、松竹ロビンス→大洋ホエールズ→大洋・松竹ロビンス→大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ、と球団名も変わっていった。
一方パ・リーグのチームは、度重なる親会社の変更、解散、合併等により、ニックネームの由来もどこを基準にハナシを進めれば良いかよくわからないので、現在のチーム名を軸に説明していこう。
『埼玉西武ライオンズ』は、西鉄時代から、百獣の王、ライオンをイメージして。西武ライオンズとなってからは、「ジャングル大帝」のレオをキャラクターに採用。
西鉄クリッパーズ→西鉄ライオンズ→太平洋クラブ・ライオンズ→クラウンライター・ライオンズ→西武ライオンズ→埼玉西武ライオンズ、と変化。
『千葉ロッテマリーンズ』は、球団の公式見解によると、”海の勇者みたいなイメージ”、、、ということらしい。
チーム名は、毎日オリオンズ→毎日・大映オリオンズ→東京オリオンズ→ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズ、と変遷していった。
『オリックスバファローズ』は、以前は近鉄パールス(真珠)というあまりにも可憐過ぎるニックネームだったが(1949-58)、その後59年には現役時代「猛牛」のニックネームで活躍した千葉茂を監督に招へいしたことから「近鉄バファロー」となり、「近鉄バファローズ」となった。その後オリックスと合併し、今日に至る。
オリックスは、阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブとなり、近鉄は、近鉄パールス→近鉄バファロー→近鉄バファローズとなり、最終的に合体して→オリックス・バファローズとなった。
『東北楽天ゴールデンイーグルス』は、東北地方に生息するイヌワシ”Golden Eagle”にちなんで。戦前にも後楽園イーグルスというチームが存在したそうだが、全く無縁。
『福岡ソフトバンク・ホークス』。”ホークス”というニックネームは南海、ダイエー、ソフトバンクと親会社が変わっても、代々受け継がれていき、ジャイアンツ、タイガース、ドラゴンズについで長い歴史を持つニックネームなのだ。元々は南海の社章が鳥をイメージされていたため。社員からの募集で決定された。
南海ホークス→ダイエー・ホークス→ソフトバンク・ホークス→福岡ソフトバンク・ホークス
『日本ハムファイターズ』は新聞の公募で。
東急フライヤーズ→東映ファイターズ→日拓ホームファイターズ→日本ハムファイターズ→北海道日本ハムファイターズ
プロ野球チームって、ファンや、地域の”公共物”なはずなのだが、経営母体やスポンサーが変わるたびに、ニックネームや、チーム名が変更されてきた歴史をみると、改めて日本のプロ野球はメジャーリーグのチームや、欧米のサッカーチームと比べて、独特な歴史を歩んできたのだなと、考えさせられた。
この辺の事情が長らく球団の経営理念なんかにも反映されてきたのだろう。球団は”親会社の広告塔”として、独立での採算や収益を度外視し、スタッフも親会社からの出向陣が多くを占め、長らく旧態依然の経営がなされてきたのだ。
そんなことが球団のネーミングからも見え隠れした今日この頃であった。