先代のコミスキー・パークの隣に2代目コミスキー・パークが建設されたのは1991年のこと。かのHOKのデビュー作といっていいだろう。
というのも厳密には1989年にHOKはドルフィン・スタジアム@マイアミを手がけたものの、こちらはアメフト兼用スタジアム、むしろアメフト寄りの作りになっているため。(名前もマイアミ・ドルフィンズを意識して付けられている。)
さて、その2代目コミスキーの名称が変わったのはその数年後、オールドファンの猛反対をよそに、USセルラーというケータイ会社にネーミングライツを売ってしまったからだ。かくして2代によって親しまれたコミスキー・パークの名前は消えてしまったが、先代の名残りは個性的なスコアボードなどに継承されている。
これはHOK得意の新古典主義が初めて試されたケースであり、この他にもスタイリッシュな照明塔や、コンコースのアクセスの良さ、外野での立ち飲みスペース、子供用のアミューズメントスペースがある点など、現在の流行の原型が詰まっている。
ここで成功を収めたHOKは、いよいよ次作のボルチモアで一気にブレイクすることになる。
ここからは個人的な話である。今でこそメジャーについて知った口をきいているデカだが、実際はじめて現地でメジャーの試合を見たのはたったの3年前、2004年9月のことだ。
縁があってUSセルラー・フィールドでのホワイトソックスvsマリナーズ戦をたまたま見たのだが、それ以来ドップリとメジャーの魅力にハマってしまったのである。
04年と言えばイチローがシスラーの安打記録を破った年で、当日の試合では幸運にもイチローの5打数5安打という離れ業を目撃することが出来た。
先発はソックスの若きエース、マーク・バーリー(ちなみに04年は16勝を上げ、05年も16勝でチームをワールドチャンピオンに導いた)。イチローに相性が悪いバーリーはこの日も3打数3安打され、ついに4安打目を打たれた時に1塁ベース上のイチローに向かって帽子を取り、もう討ち取る術が無いと文字通り「脱帽」したのだ。
それを見たファンも、すかさずスタンディングオベーション。まさか敵地で喝采を浴びると思ってなかったイチローは戸惑いながらも、ファンに向かってヘルメットをとり挨拶。
なんや、これ。
相当いい感じの雰囲気やないかと。
球場中がとても暖かい空気に包まれたのを鮮明に覚えている。
当時メジャー=ヤンキースというような平凡な考えしか無かったデカはカルチャーショックを受け、以来ホワイトソックスとシカゴという街が大好きになったのである。
元々ホワイトソックス自体個性の強いチームではなく、これと言った固定概念が無かったため、割とすんなりファンになれたのかも知れない。
何やそれだけのことかという感じかもしれないが、きっかけなんかそんなもんで、しかしだからこそメジャーに夢中にさせてくれるきっかけを作ってくれたホワイトソックスをこれからも応援していきたい。
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