先週末流れた小さな扱いのニュースではあったが、実は個人的に気になっていた事なので、思わず目に留まった。
正直昨季で引退だろうと予想していたが、またまたアメリカで現役を続けるようだ。そのモチベーションは一体何なんだろうと。
高津は高校時代デカの好きな投手の一人だった。
ヤクルトの黄金時代を支え、古田とのバッテリーは90年代のプロ野球を代表するコンビといっても過言ではないはず。何度見ただろう、この姿を。
しかし海を渡ってメジャーに挑戦したあたりから皆さんの記憶から徐々に印象が薄くなっていったことと思う。
一般的にアメリカでの活躍と人気はあまり日本では広く知られていないが、ファンの1人として当時の様子を伝えたいと思う。
なぜあまり日本で報道されなかったかと言うと2004年(高津移籍1年目)はイチローが年間最多安打の記録を更新した年であり、ほとんどメディアの扱いがそれに偏ってしまったからだとデカは推測する。
とにかくメジャー挑戦初年度はトライアウトの末ホワイトソックスへ入団→当初は中継ぎ→好調が続き→シーズン後半は抑えに昇格。伝家の宝刀シンカーと、クソ遅いカーブ(日本ではほとんど投げてなかった)で並みいる強打者を討ち取っていく姿は実に爽快だった。
日本から来たオッサンピッチャーが100km/h前後の球で空振りを取るたびに、地元ファンはメチャクチャ喜んでいた。
ある日、高津を温存して別のセットアッパーで逃げ切ろうなんてベンチの魂胆が見えたときには、スタンドが総立ちでシンゴコールを始めたものだ。案の定セットアッパーがランナーを溜めるといよいよ高津の出番。やたらカッコいい音楽とビジョンの映像に乗って登場する訳である。イッツ・シンゴ・タイム。
そして、ついたあだ名はミスター・ゼロ。
センスの良さそうなアメリカ人もダサいニックネームをつけるものだと唸ったものだ。
高津登場の際にはわざわざ日本語でビジョンに流したり、グッズも日本語のプリントを施したTシャツなんかがチームショップに並び、ちょっとしたミスター・ゼロのブームを巻き起こしていた。
まあ、とにかく日本では想像できないほど当時シカゴでは凄まじい人気を誇っていたわけである。
かくして大成功を収めたのだが、翌2005年はシーズン当初から不調が続き、そのまま解雇。メッツに拾われ再びメジャー昇格を果たしたものの、結局その年を最後にヤクルトへ復帰。
復帰後の2年間もあまりパッとしなかったが、もう一度あの当時の歓声を浴びたい!!という高津の執念が今回の契約に結びつけたのではと勝手に想像する。
ちなみに、当時高津を解雇したホワイトソックスは皮肉にも、その年88年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。あぁ、あと一年早ければ・・・
でもそれまでのチームへの貢献が認められ、途中移籍したにも関わらずチャンピオンリングを贈られたそう。ある意味ラッキーである。
尚、日本人選手のチャンピオンリング保持者は高津の他に5人。(伊良部)、井口、田口、松坂、岡島。羨ましい限りである。バリー・ボンズも持っていないのに!
2 件のコメント:
チャンピョンって。
チャンピオンだろうよ。
デズニーとディズニーの違いみたいなもんだろ。
と言いながら書き換えました。。。
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