リングの製作数や、授与対象者は特にこれといった規定は無く、チーム(というかオーナー)によって都度決められることになる。
前回のホワイトソックスの場合は途中放出・解雇した選手はもちろん、球団職員全員にも作ったらしく、シカゴの友人保安官は太っ腹のオーナーが全員に作って費用も負担してくれたんだぜと、自慢げに語っていた。金額までは聞かなかったが、決して安くは無い代物だろう。
そのオーナーこそ、ジェリー・ラインズドルフである。尚、彼は同じシカゴのNBAチーム、シカゴ・ブルズも保有している。ホワイトソックスにもブルズにもあまり金をかけて選手を取らないケチオーナーとファンからは陰口を叩かれているが、チャンピオンリング製作時だけは太っ腹だったらしい。
ご存知ブルズではマイケル・ジョーダン擁して黄金時代を経験した同氏だが、ホワイトソックスのワールドチャンピオンはそれとは比較にならないくらい喜んだらしい。いかんせんこっちは88年振りだもの。
ここで一つ思い出されるのが全盛期のジョーダンが突如引退→メジャーリーグに挑戦すると言い始めたことを。勘の鋭い皆さんならもうお気づきだろう。
当時いくらなんでもそれは無理だろと思っていたファンの心配をよそに、早々に2Aバーミンガム・バロンズ入団を決めたジョーダンだったが、実はココはホワイトソックスの傘下のチームであったのだ。つまりラインズドルフの差し金によるコネ入団だと。
かくしてメジャーを目指して野球に打ち込んだジョーダンだったが、結局2年間挑戦したのち、最後までメジャーに昇格すること無く再びNBAに戻った訳である。本気でメジャーデビューを目指していたものの、時は95年、長引くストライキに業を煮やしてNBA復帰を決めたらしいが、最後まで諦めずに頑張ろうとジョーダンを励ましていたのは当時バロンズの監督だったテリー・フランコーナだった。
そう、現ボストン・レッドソックス監督である。
面倒見が良く、人望も厚い同氏にファンは多いが、バスケットファンからは、フランコーナがジョーダンを暖かく励まし続けたせいで、NBAへの復帰が1年遅れたなんて憎まれ口を叩かれたくらい。
当時の友情は今も続いてるそうで、野球好きのジョーダンは試合観戦にかこつけて度々フランコーナの元を訪ねているそうだ。
話は変わるが、昨年松坂がメジャー移籍した時のスプリングキャンプは空前の大フィーバーとなり、日米のマスコミがわんさかキャンプ地に押しかけたのはご記憶に新しいはず。
当時監督のフランコーナは、こんな人だかりはあの時以来だな~なんて、以前のジョーダン・フィーバーを懐かしむような余裕のコメントだったわけである。
なんかこの人いつもニコニコしててデカは好きなのだ。
ラミレスやオルティスといった猛獣達はおろか、神様まで手なずけてしまうんだから、この人きっとタダモノではないはずだ。
3 件のコメント:
ボールペンのマークだ☆
これみて野球勉強します(*^^)v
チシャ猫さん、はじめまして♪
でもこのブログには知らなくていい事ばかり書いてあるので注意して下さいね!
ジョーダンってセンターかなんか守ってたよね。確か。オーナー一緒なんだね。へぇ。
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