2007年12月29日土曜日

映画飯店

この度わが相棒のにっこりテリーが『映画飯店』なる店を開店した。



彼は相当の映画狂いということで、濃い内容の記事を期待をしていたのだが、いかんせん更新が遅い遅い。更新は半月に一回程度。しかし気の長い皆様は是非こちらもご贔屓に!



デカも人並みに映画は好きだが、到底うんちくを語れるレベルには無いし、作品を批評するようなこともしない。といいながらも、今日はデカの好きな映画ベスト3というベタな企画でいってみたいと思う。



① Kiss Of The Dragon


ストーリーは三流かも知れないが、ジェット・リーのアクションがとにかく圧巻の一言。強すぎ。自分がもしこんなに強かったらなーなんて思う男はきっと多いはず。寡黙で強く女性に優しい男。そうありたいと思いながら、どれにも当てはまらない自分を嘆く。

















とにかくこれ以降デカはジェット・リーの大ファンになり、出演作はほぼ全て見尽くし、部屋には巨大なポスターを購入。他にもマニアックな佳作は多いが、個人的には一番KODがバランスが良い作品かと思う。多分テリーは別の意見だと思うが。




② Rudy


並み居るスポ根映画のライバル達を抑え、その分野で頂点に立つのがこれ。こちらもストーリーはコテコテなので決して奇をてらったものは無いが、実在の人物のハナシということで感情移入しやすいかも。某大学アメフト部は入部した時に全員でこれを見させられるらしく、意外なところでBOBと意気投合してしまった。
















どっからどう考えてもスポーツ好きにはど真ん中の一品。




③ Dreamgirls


これは見てる人が多いと思うので、あえて詳細は割愛だが、ほんとに素晴らしいエンターテインメント。これも良くあるサクセスストーリーという感じでハナシは進んで行き、大笑いもせず、エンディングでは特に泣きもせず。



それでも見終わった時には何とも言えない良い気分に。















実話のSupremesにはもう少し辛い結末が待っていたのだが、あえてそこまで描かずにスッキリ映画をまとめたことが個人的には良かったと思う。




【番外】 Honey


本作のジェシカ・アルバは常軌を逸した可愛さである。半端ではない。それだけかと思いきや、エンディングでは意外と感動するので元気を出したいときには是非必見。尚、邦題はダンス・レボリューション。


















先日のジェシカ未婚にて妊娠のニュースを聞いて、落ち込んだ男が世界中に1億人はいただろう。




以上完全に個人的な趣味の世界の話をしてしまったが、どうかご容赦を!

2007年12月23日日曜日

ドジャース永遠のHOME

日本人が一番最初に現地でメジャーリーグを見るとしたら、恐らくほとんどの人が、ここかシアトルのセーフコ・フィールドであろう。



例年多くの日本人観光客がドジャースタジアムを訪れていることと想像するが、紛れもなくドジャースタジアムはメジャー屈指の素晴らしい球場であり、デカとしては是非観戦をお勧めしたい。



理由は大きく3つ。1つ目は選手の魅力。2つ目はドジャーススタジアム自体の魅力。3つ目は天気。




① 選手の魅力


ドジャースの今オフの積極補強は前述の通りだが、SFジャイアンツ、ダイアモンドバックス、カブス、ブレーブス、メッツなど、ナ・リーグにはスター選手がゴロゴロいるので、豪華なラインナップが楽しめるはず。


また、日本人選手を応援するという視点からも、今年までは投げるかどうかわからない斎藤隆だけを見に行くのはリスクがあったが、来シーズンからは新たに黒田が加わり、井口、福留、カズオも同じナ・リーグに所属することから、直接対決を狙っていけば見所も増える。















② 球場の魅力


ドジャースタジアムはかつて全米一美しい球状と称えられたこともあったそうだが、むしろ今となっては現役で3番目に古いオールドスタジアムとしての評価が高いか。(意外にも、フェンエイ・パーク、リグレー・フィールドの次に古いのはココ。)

(写真右下のレフト後方の山には、チームスローガンの「Think Blue」の文字が。かの「Hollywood」サインを模したとおぼしきもの。 こんなところについセンスを感じてしまう。)













近年ではLEDの映像システムや、座席部分なども大幅な改装を施し、若返りを図っているが、実際行ってみると古さが実感できるだろう。



大規模な改装を施しているということは、しばらく新球場の建設は予定していないことを暗にアピールしているかのよう。



ほぼ同級生のシェイ・スタジアムやヤンキー・スタジアムの引退が既に決まっているのを尻目に、古き良き球場の存在価値を高めるべく、これからも現役で頑張ってもらいたい!













LA特有のウエッサ~イな雰囲気がユル~く球場中を包み込み、硬いイスや暗いコンコースからは新球場には無い歴史と伝統を感じることが出来る。


名物は何と言っても『ドジャードッグ』。デカいだけで味はいまいちとの評判だったが、意外とうまい。また、サルサソースとチーズで楽しめるナチョスは、ビール片手に間違いない一品である。















元々ナチョスはヒスパニック系の客向けのアイテムと思われるが、是非とも日本の球場でもメニューに取り入れてもらいたい。既に採用しているところがあったら教えてくれっ。



それ以前に、屋内と屋外ではビールの味は確実に違うだろうと思うが。




③ 天気


野球観戦において意外と落とし穴なのが天気。はるばる日本から飛行機でやってきて、お目当ての試合を見ようとしても雨天中止なんてことになれば悲惨。かといって天気にはかなう訳もなく…


一方屋根付球場を訪問したところで、なんか味気無い。


しかしドジャースタジアムは過去約20年!雨天中止が無いそうで、開場以来40年強の間で数えるほどしか雨天中止は無いそう。















最悪行った試合が雨天中止になったとしても、むしろ自慢話しとして語れるかも。そうとうレアな経験をしたと!





最後に付け加えるなら、ドジャースは人気チームでありながらチケット価格も安い。レンタカーを巨大な駐車場に止めてウロウロしてると、きっとダフ屋の兄ちゃんが寄ってきて、年間シートをばら売りしてくれる。交渉次第では良い席が定価より安く手に入るはずなので、あまりケムたがらず話してみては♪(尚、だまされた場合の責任は負いかねるぞ。。。)

2007年12月22日土曜日

独断と偏見による注目選手 ~ドジャース編~

さてその黒田が来年プレーするドジャース。移転時の話や、旧本拠地球場の話など、本ブログでも何度か取り上げてきたチームである。



初めて黒人選手であるジャッキー・ロビンソンをメジャー登録したことや、野茂やパク・チャンホ(いわずもがな韓国人初のメジャーリーガー)を獲得したことからも常に前衛的なイメージがあり、デカも個人的に好きなチームの一つである。



野茂、ピアザ、モンデシー、ハーシュハイザーなどが活躍した90年代初めが今となってはすっかり懐かしく、当時初めてメジャーリーグに触れた日本人は多かったはずだ。デカも例外ではない。



といった訳で、もともと日本人にも知名度があるし、球団の歴史や概要は新聞やインターネットでも良く見かけるのでここでは詳細説明は割愛。以下独断と偏見による戦力分析。



攻撃陣は今オフ超大物アンドリュー・ジョーンズを獲得し、ジェフ・ケント、ルイス・ゴンザレスと言った実績のあるスター選手に若手がかみ合えば面白いか。



しかし注目選手はなんと言ってもノマー・ガルシアパーラ。元々はデカの兄貴分が大好きで、彼の部屋にポスター(もちろんレッドソックス時代)が貼ってあったのが最初の出会い。



個人的に90年代を代表する3大ショートストップと言えば、間違いなくA-ロッド、ジーター、ガルシアパーラである。長年レッドソックスを引っ張ってきた功労者にも関らず、2004年のシーズン途中にカブスに出され、その年にレッドソックスがワールドチャンピョンになったのはなんとも気の毒。



以来パッとせず、ドジャースに移籍後しばらくしてファーストに転向。ますます哀愁が漂ってきた。徐々に成績は取り戻しているものの、以前のようなスーパースターのオーラは無い。



それでもデカは応援してるぞ。カッコいいから好きなのだ。

















また、ドジャースタジアムでの地元ファンの声援は大きく、応援しているのはデカだけでは無いと確信した瞬間は嬉しかった。もともと両親もメキシコの人らしいので、LAという地が馴染んでいるのだろうか。



さて投手陣はというと、黒田、斉藤の日本人コンビもさることながら、デレク・ロウ、ブラッド・ペニー、エスデバン・ロアイザ(WBCで日本と対戦したメキシコのエース)など、中々粒ぞろい。あとは豪腕ジェイソン・シュミットの復活次第か。



しかしここでデカが注目したいのはデビッド・ウェルズ。



















プロレスラーでは無い。



こんなところにいたのかー!と、馴染みのあるファンも多いはず。以前はヤンキースやレッドソックスでも活躍していたので見たことくらいはあるだろう。



この巨体で、投球テンポが良く、精密機械のようなコントロール、大きなカーブが大好きだった。通算240勝近くあげ、完全試合も達成している重鎮だが、トラブルメーカーとしても名高い。



ヤンキースに初めて移籍した時、球団に本気で背番号3を要求したことはあまりにも有名なハナシ。もちろん球団は認めるはずはなく、結局33番を用意した。



ここまでアホだと、デカとしてはつい応援したくなるものだ。



ここ数年は年齢のせいか、成績が振るわないが来季左のウェルズが先発に入り(現状先発陣は右投手のみ)、シュミットが復活したらメジャー屈指の投手陣が完成するかもしれない。



以上独断と偏見による注目選手でした。。。



次回はドジャースタジアムについて。多分。

2007年12月17日月曜日

日本人選手バブル

黒田も早期決着でドジャースに入団が決まった。3年40億と言うビックディールだそうだが、年棒2億円だった今までとは雲泥の差。



何だか話題だけがヒートアップしてるけど、しかし黒田ってそんなに凄いかね?実働約10年で、約100勝、年平均でいったら10勝。且つ、負けが極端に少ないわけでもない。広島カープという弱小球団に所属していたからだとしても、だ。














誤解されるといけないので、ハッキリ言うがデカは黒田のことは大好きだ。そして海の向こうでの活躍を心から願っている。 つまり黒田のことが嫌いだから言ってるとか、そんなことではない。



黒田ほどとはいかないが同様に、福盛、小林雅、薮田も”年齢の割りに”かなり良い条件の契約をそれぞれ実現している。年棒は平均2億円近く、ポイントはいずれも複数年である。



もともと野球全般が好きだし、日本人選手は応援したいが、手にする金額が実力に見合っているか・・・デカとしては現状の「日本人選手バブル景気(特に投手)」を冷静に見つめていきたい。



もちろん成功したらそれだけの報酬をもらうべきだが、いかんせん「期待値」としての年棒が高すぎる。


これじゃあプロ野球でプレーするのがほんとにバカらしくなっちゃう。猫も杓子もメジャーという流れは当分変わらないだろう。失敗しても給料上がるし、とりあえずメジャー行こうかみたいな。



しかし来年はア・リーグに、ナ・リーグにチェックが大変だわ。



次回はドジャースとドジャースタジアムについてでも語ろうかい。黒田も渡米前に本ブログをチェックしてくれ♪

2007年12月13日木曜日

そして南のコミスキー

北のリグレーを話した勢いで南のコミスキーについて話をしていこう。



先代のコミスキー・パークの隣に2代目コミスキー・パークが建設されたのは1991年のこと。かのHOKのデビュー作といっていいだろう。




というのも厳密には1989年にHOKはドルフィン・スタジアム@マイアミを手がけたものの、こちらはアメフト兼用スタジアム、むしろアメフト寄りの作りになっているため。(名前もマイアミ・ドルフィンズを意識して付けられている。)




さて、その2代目コミスキーの名称が変わったのはその数年後、オールドファンの猛反対をよそに、USセルラーというケータイ会社にネーミングライツを売ってしまったからだ。かくして2代によって親しまれたコミスキー・パークの名前は消えてしまったが、先代の名残りは個性的なスコアボードなどに継承されている。














これはHOK得意の新古典主義が初めて試されたケースであり、この他にもスタイリッシュな照明塔や、コンコースのアクセスの良さ、外野での立ち飲みスペース、子供用のアミューズメントスペースがある点など、現在の流行の原型が詰まっている。












ここで成功を収めたHOKは、いよいよ次作のボルチモアで一気にブレイクすることになる。




ここからは個人的な話である。今でこそメジャーについて知った口をきいているデカだが、実際はじめて現地でメジャーの試合を見たのはたったの3年前、2004年9月のことだ。



縁があってUSセルラー・フィールドでのホワイトソックスvsマリナーズ戦をたまたま見たのだが、それ以来ドップリとメジャーの魅力にハマってしまったのである。












04年と言えばイチローがシスラーの安打記録を破った年で、当日の試合では幸運にもイチローの5打数5安打という離れ業を目撃することが出来た。


先発はソックスの若きエース、マーク・バーリー(ちなみに04年は16勝を上げ、05年も16勝でチームをワールドチャンピオンに導いた)。イチローに相性が悪いバーリーはこの日も3打数3安打され、ついに4安打目を打たれた時に1塁ベース上のイチローに向かって帽子を取り、もう討ち取る術が無いと文字通り「脱帽」したのだ。


それを見たファンも、すかさずスタンディングオベーション。まさか敵地で喝采を浴びると思ってなかったイチローは戸惑いながらも、ファンに向かってヘルメットをとり挨拶。















なんや、これ。




相当いい感じの雰囲気やないかと。



球場中がとても暖かい空気に包まれたのを鮮明に覚えている。


当時メジャー=ヤンキースというような平凡な考えしか無かったデカはカルチャーショックを受け、以来ホワイトソックスとシカゴという街が大好きになったのである。



元々ホワイトソックス自体個性の強いチームではなく、これと言った固定概念が無かったため、割とすんなりファンになれたのかも知れない。



何やそれだけのことかという感じかもしれないが、きっかけなんかそんなもんで、しかしだからこそメジャーに夢中にさせてくれるきっかけを作ってくれたホワイトソックスをこれからも応援していきたい。

2007年12月12日水曜日

電撃入団

福留は我がホワイトソックスへと密かに期待していたのだが、同じくシカゴを本拠地とするカブスにあっさりさらわれた。実に早期の決着でビックリした。


時をほぼ同じくして、福留の入団が有力視されていたパドレスは、井口の獲得を正式表明した。


そっちかよ!と思わず突っ込みたくなる結果だった。


黒田もマリナーズかと思いきや、ここに来てドジャースなんて話も…松井秀もSFジャイアンツなんてことになれば一気にナ・リーグ西地区に選手が固まることになる。



ということで今日は日本ではいまいち認知度の高くないカブスについて少しだけ話しを。カブスのロゴがUBSと読めなくも無いというわけの分からない争いをしていたことが記憶に新しいが、全米では屈指の人気を誇る古豪である。















しかし言われてみるとUBSと読めちゃって気になる。




近年ではマダックス、ソーサ、ガルシアパーラなどのスター選手を擁しているにもかかわらず、中々勝てない。リーグチャンピョンから60年以上、ワールドチャンピョンに至っては100年!遠ざかっている。



来年はソリアーノ、デレク・リー、福留を中心に是非頂点を狙って欲しい。



さてそのカブスの本拠地、リグレー・フィールドは以前も話したとおり、メジャーで現役の中で2番目に古い球場であり、個人的にはフェンウェイ・パークよりも憧れは強い。今一番行きたい球場である。












ツタの茂った外野フェンスはあまりにも有名で、ボールがツタに絡まってしまうとエンタイトルツーベースなんて、脱力系のローカルルールもここならでは。



隣接するマンションの屋上には勝手に観客席を作り、そこから観戦している様はさすがアメリカと唸らせられる。













特筆すべきはデーゲームの多さで、もともと「野球は青空の下でやるもの」という先代オーナー・リグレーさんの意向により何と1988年までナイター設備が無い球場であった。ポストシーズンのTV中継の影響=CMスポンサーの意向でやむなくナイター設備を作ったと確か聞いたことがあったが、現在でもレギュラーシーズンはほとんどがデーゲームで行われている。今でもナイトゲームは週に1度あるかないか。



それでも連日満員に膨れ上がる人気には恐れ入る。シカゴ市民は仕事してるのか?



デカの悩みとしては、デーゲーム=日本時間深夜なので中々生中継で試合が見れないということだ。朝起きたら既に試合結果が出ているというのは正直萎える。致し方ないか。



意外と知られていないのが、メジャーで複数球団を本拠地とする都市、および州は(例えばNY、サンフランシスコ、LA、シカゴ、フロリダなど…)、どちらかがホームゲームを開催していると、一方のチームはアウェイに出かけると言うのが常識である。これはメジャー観戦の際には是非ご注意頂きたいポイントである。



シカゴは北のリグレー、南のコミスキー(現USセルラー・フィールド)と古くから言われていたが、ホワイトソックスを贔屓にしているデカがシカゴにいる時は、常にカブスがアウト・オブ・タウンである。だから試合を見たことが無いというのは言い訳のように聞こえるが、当然なのだ。



唯一の例外は毎年6月頃のインターリーグ(交流戦)で実現する、カブスvsソックスのシカゴダービー。この時ばかりはシカゴ市民が2つに別れてホーム&アウェイで対戦する(といっても圧倒的にカブス人気だが)。これはNYのサブウェイシリーズにもひけをとらない盛況ぶりだ。



来年はちょこっと浮気してリグレー・フィールド訪問を一つの目標としたい。

2007年12月11日火曜日

プライスレスなひと時

デカはどこかで殉職してしまったのか?はたまたブログに飽きてしまったのか?なんて憶測が飛び交っていないとは思うが、心配無用である。



しばし関西を中心に旅に出ており、PCとは無縁の生活を送っていた。帰京して早々、アゴなしよっちゃんの結婚式と中々更新が出来ない日々が続いていた。



アゴなしよっちゃんにはアゴなしゲンさんのリンクでも張ろうと思ったが、さすがに絵的にひどすぎるのでやめた。



改めてよっちゃんお幸せに♪そして遠隔地からこれからも本ブログをご贔屓に!



尚、よっちゃんの式で同席したキャプテンに、お前変なリンク張ってるんじゃねーよ。とお灸を据えられてしまった・・・しかし意外にみんなから好評だったので懲りずにもう一度



そしてごめん。



さて、週末にはもう一つのイベントが。



横浜スタジアムを貸しきっての野球大会である。






















仲間との贅沢な時間は、素晴らしい思い出となった。



来年、再来年と続けて行けていければと思う。



いやー、野球ってのは良いもんだなと改めて再確認した次第である。また、同じくそう感じてくれる仲間がいることが幸せなのだ。

2007年11月30日金曜日

ドーム球場の終焉

以前も取り上げたレイズ(旧デビルレイズ)のチームアイデンティティの変更に伴い、かねてから噂されていた新球場建設のプランが正式に発表された。2012年オープン予定だが、早くもその全貌は明らかになりつつある。




同時にこのニュースはMLBから完全密封式のドーム球場が消滅することを意味する。(他の現在完全密封式ドームはミネソタのメトロドームだが、既に新球場を建設予定。)




お前ら球場作る金あったら選手補強しろよ!!とツッコミたくなるところだが、ボールパーク愛好家としては良いニュースと捕らえている。球団オーナーの変更に伴い、ここ数年で球団スタッフもほぼ一新された。ゼロからチームを作り直すという気概がいよいよ形になり始めてきたというわけである。



昨今のロッキーズ、マーリンズ、ダイヤモンドバックスといったエクスパンションによって誕生したチームの活躍に影響されていることは間違いないはずだ。




ちなみに下の写真はメジャー1、2を争うイケテない球場として酷評されているトロピカーナ・フィールド。人工芝は東京ドームや横浜スタジアムと同様のフィールドターフ社製(made in Canada)。














とは言っても内野部分には本物の土を入れており、屋根付と人工芝であることに対するエクスキューズをすごく感じて、マニアとしてはそこが非常に好きだった。




ナゴヤドームや京セラドームなど、人工芝の色だけ変えて”土っぽく”見せている子供だましとは大きな違いがある。













さて、その新球場はもちろんオープンエアの天然芝。ライト場外は海に面しており、まるでAT&Tパークの二番煎じのような演出がある。しかし雨天時には船のマストをイメージしたような帆が球場を覆うという前代未聞の構造を予定している。詳しくはレイズのウェブサイトでチェックできるが、普通にカッコいい。
















もちろん手がけるのはあのHOKである。

2007年11月28日水曜日

とりとめのない余談

この話しは以前詳しく触れたが、来年はドジャースとジャイアンツがNYから西海岸に移転してから、ちょうど50周年にあたる。
















てなわけで記念イベント好きなアメリカ人が早速考えた企画が、移転時に暫定的に使用していた旧本拠地、LAメモリアル・コロシアムでのオープン戦だ。



ドジャースvsレッドソックスが3試合のマッチメークをしたと数日前に報道があった。レッドソックスはこの直前に日本での開幕戦(vsアスレチックス)を2試合予定しており、飛行機でボストンに帰りがてらLAに立ち寄ることになる。開幕戦をした後にオープン戦を3試合だなんて、日本では考えられない。



いくらワールドチャンピオンになったからと言ってサービスしすぎではと、デカとしては一抹の心配が。



さて、このLAメモリアル・コロシアムはマニアにとって伝説の球場である。ドジャースはたった3年しか使わなかったが(以後ドジャースタジアムに本拠地を移転)、中でも1959年のヤンキースとのワールドシリーズでは全試合9万人以上が観戦したと言われ、この入場者数はMLB史上最多。恐らくこの記録は今後破られることは無いだろう。




同コロシアムは2度のオリンピックを経験し、現在も南カルフォルニア大学(以下USC)のフットボールチームが本拠地として使用しており、有意義な余生を送っている。この迫力。アメリカンカレッジスポーツの魅力である。














そのUSCだが、スポーツの名門校として全米中にその名を轟かしている。近年のメジャーリーガーで代表的なOBが、マーク・マグワイアとランディ・ジョンソン。デカ業界では有名な話だが、彼らは同い歳で、USC野球部でもチームメートだった。実に豪華だ・・・



ランディは当時、剛速球と目に余るノーコンで有名だったらしい。長い下積み時代を経て、スタープレーヤーに。



一方マグワイアは早くから高い評価で、A's→カージナルスと順調にキャリアアップ。ご存知ソーサとの壮絶なHR王争いを繰り広げる。



ちなみに先日今年の野球殿堂入り候補者25人が選出され、かのマグワイアもその1人である。1月初旬には結果発表されるが、薬物疑惑の影響で今年も選出は難しいかもしれない。(去年は散々たる支持率で落選、リプケンとグウィンが選ばれた)。




ちょっとブラックなBefore & After写真を見つけたので、添付しておく。









まあ前回のユーキリスほどの反響は無いだろう。




最後に、USC出身でもう1人忘れてはいけないプレーヤーが、あのパリー・ジトだ。今度改めてデカが大好きジトについて語りたい。早慶戦の時のパパに匹敵する、世界最高のカーブの持ち主である。



2007年11月22日木曜日

球場改革 余談

気づけば今日は良い夫婦の日。ちょうど1年前、キャプテンが入籍を果たした。あれからもう1年かと、マジで時の経つスピードが加速していることに気づかされ、リアルに焦る。


そんな僕はというと、最近はダラダラ球場について書いていたもんだから、ついカンサスシティのカウフマン・スタジアムのリノベーション状況が気になりロイヤルズのHPにアクセスしてしまった。


案の定ここもHOKの手に掛かっていた。記事によるとHOKのヘッドオフィスはカンサスシティにあるらしい・・・そりゃ請け負うわな。


ちなみにカンサスシティはカンサス州ではなく、お隣りミズーリ州にある。


ただでさえ話題性に乏しいロイヤルズと、この街だが意外とうんちく満載である。ただし、ここで話すと一気にネタ切れになるので、またいつか球場レポートと共にお届けしよう。


ほな、良い連休を♪

2007年11月21日水曜日

球場改革 その4

どうも先週末から体調が悪く、禁酒・禁欲の生活を続けております。お陰で珍しく3日連続で続いた本企画も、今日でひとまず最終回。明日は久々に飲もうかの。


さて、しばらく不遇の時代を迎えていたMLBとその球場たちは、90年代に入ると人気と客足も徐々に息を吹き返すことになる。94年のストの悪影響はあったものの、マグワイヤとソーサのHRレースを筆頭に多くの話題に恵まれたことは否定しない。


しかしここではハード面の改革、つまり新球場の建設ラッシュと、カリスマ設計事務所HOKの登場について触れていきたいと思う。このHOKという会社、一般の人はあまり馴染みが無いだろうが、その作品集は既に記憶の片隅にインプットされているはずだ。


例えば、先のワールドシリーズが行われたデンバーのクアーズ・フィールド。07’オールスターが行われたサンフランシスコのAT&Tパーク。リーグチャンピョンシップで松坂が熱投したクリーブランドのジェイコブス・フィールド。桑田がスシボールを披露したピッツバーグのPNCパーク。


などなど、実に現役30球場のうち、12球場がHOKの作品であり、向こう3年以内にオープンが予定されている5球場のうち、ヤンキース、メッツ、ツインズ、ナショナルズの4球場は既にHOKに発注がかかっている。


もちろんメジャーだけでなく、例えば以前触れたシングルAの、SIヤンキース・RCBボールパークもHOKの作品。



既にHOK飽和状態なのに、それでも彼らに依頼してしまうその魅力とは一体何なのか?以前も述べたが、下記の3つの鉄則はイコールHOK球場作りの鉄則なのだ。


① 屋根無し・天然芝であること。
② 新古典スタイル(ネオクラシックスタイル)を取り入れていること。
③ 地元地域の特性や景色を、球場の作りに取り入れていること。



①は言うまでもない、誰しもが望んでいたことだろう。



②は古き良き時代のボールパークの面影を残した、最新鋭の設備を搭載した球場を作ろうというコンセプト。左右非対称のフィールドが最も良い例で、フェンウェイ、リグレーのようなイビツで入り組んだような外野フェンスの形状を作ったりする。


またスコアボードを手動にしたり、バックネット裏を赤レンガで造ったりと、非合理的だが古き良き時代を思わせるような仕掛けをあえて盛り込んでいく。NIKITA風に言えば、あえての脱力系リッチである。 (写真左はボルチモアの旧駅舎が球場の一部になってしまったケース。右はジェイコブスの左右非対称フェンス)
















ちなみにメッツの新球場(シティ・フィールド)の設計計画図を見たときに、かつて存在したエベッツ・フィールドの概観を取り入れていると確信したのはデカだけでは無いだろう。



③はケーススタディで。例えば、ボンズのスプラッシュヒットで有名なAT&Tパークはあえてボールが海に突き刺さるような設計を施し、PNCパークの絵葉書のような景色はおなじみだろう(写真左)。SIYのNY摩天楼が外野フェンス越しに望める景色なんてのは確信犯である。つまり景色や立地条件までも球場の一部、または話題に変えてしまうのである。















恐るべし。



とりあえずアウトラインの説明は済んだので、あとはマイペースに気が向いたら球場ごとの捜査記録をアップしていこう。

2007年11月20日火曜日

球場改革 その3

現在メジャーで現役の本拠地球場は30。それらがそれぞれ建てられた時期をザックリ3つのグループに分けてみよう。



①1910年代: 世界遺産たち

現役ではボストンのフェンウェイパーク、シカゴのリグレー・フィールド、この2つだけである。フェンウェイ・パークは1912年完成、実に明治時代。その2年後にリグレーが完成。幾多のレジェンド達を見届けてきた生き証人はアメリカでも別格の存在だ。故にここにまつわるエピソードは尽きないのだが、それはまた別の機会に触れたいと思う。ちなみにデカは両方とも行った事が無い(涙)。




②1960年代~80年代: 負の遺産たち

オークランドのマカフィー・コロシアム、

シェイ・スタジアム、

ミネソタのメトロ・ドーム、

マイアミのドルフィン・スタジアム、

DCのRFK・スタジアム、 など。



フットボールとの兼用スタジアム全盛期、もっともイケて無い時代に作られたスタジアムだ。先述した球場のほとんどがこれらの同級生である。トロントのロジャース・センター、アナハイムのエンジェル・スタジアムもここに入れたいが、大規模な改修を施しているため、割愛。



ちなみにNYの2球場、オークランド、ミネソタ、DCの5球場は向こう3年以内に新球場の完成を予定しており、カンサスシティも大規模な改修を予定している。こうしてこの時代に作られた球場は今後ほとんど姿を消すことになる。













③1990年代~現在: 球場改革の申し子たち


全ては書ききれないので、有名どころで言うと、

シアトルのセーフコ・フィールド、

シカゴのUSセルラー・フィールド、

サンフランシスコのAT&Tパーク、

コロラドのクアーズ・フィールド、など・・・


90年代初頭から突如巻き起こった新球場ブームに乗っかり、現在までに30球場中、約20球場が生まれ変わった。これらの球場はかつてのオープンエア、天然芝、野球専用球場の魅力を余すことなく発揮している。













もちろん60~70年代に作られた球場でも、カウフマン・スタジアム、ドジャー・スタジアムのような素晴らしい球場もある。一方90年代に作られたタンパのトロピカーナ・フィールドが時代錯誤のドーム球場あることなど、全てこれに当てはまるわけではない。

ただ、何となく時代の空気を感じてもらうために、わかり易く分類しただけ。




思ったより文章が膨らんでしまったため、90年代以降の新球場についてはまた次回。

2007年11月19日月曜日

球場改革 その2 

1965年に建設され、「世界8番目の不思議」と揶揄されたヒューストンのアストロ・ドームを皮切りに60年代から70年代にかけて、全天候型のドーム球場 and / or 人工芝を敷き詰めたアメフト兼用スタジアムが一世を風靡することになる。




サンフランシスコのスリーコム・パーク → ジャイアンツと49’s

シンシナティのシナジー・フィールド → レッズとベンガルズ

フィラデルフィアのベテランズ・スタジアム → フィリーズとイーグルス 

サンディエゴのクアルコム・スタジアム → パドレスとチャージャーズ

シアトルのキング・ドーム → マリナーズとシーホークス

ピッツバーグのスリーリバーズ・スタジアム → パイレーツとスティーラーズ

などと枚挙にいとまがない。



多目的スタジアムにして、ドーム型や、人工芝にし、稼働率を上げ、経営の合理性を追求したものの、本来のボールパークとしての魅力を失ってしまった。結果的にこれが客足を遠のける原因になり、来場者数の減少が球団経営を圧迫するというなんという皮肉。



一方兼用スタジアムとして間借りしていた形のNFLはこの野球人気の衰退を尻目に、アメリカNo.1のメジャースポーツの地位を確固たるものにする訳である。



現在でもマーリンズ(とドルフィンズ)、アスレチックス(とレイダース)などがNFLとの兼用スタジアムでのプレイを余儀なくされているが、モチロン人気=観客動員はNFLの方が圧倒している。(そもそも試合数が違うので、トータルでは比較できないが、試合単でみればその差は一目瞭然である。)



かくして70年代から80年代後半までメジャーの球場は不遇の時代を迎えるわけだが、90年代に入るとその様相がガラッと変わるのである。。。




余談だが、おそらくこの期間(60~70年代)に建設され、野球専用球場として設計されたのは、カンサスシティのカウフマン・スタジアムのみだろう。こうした歴史的背景を贔屓目で見るファンの間では、ここが全米一美しい球場だと唱える者も少なくない。












ちなみにカウフマン・スタジアムはかつての強豪、現・超弱小ロイヤルズの本拠地で、07年に松坂がメジャーデビューを果たした思い出の地でもある。



ほなまた。

2007年11月18日日曜日

球場改革 その1

パパも無事に結婚式を終え、名実ともにパパになる日もそう遠くは無いかもしれない。もちろんハネムーンはクーパーズタウンで決まりだろうと勝手にデカは期待していたが、南の島らしい。




とにかく、改めておめでとう♪



さて、球場改革を高らかに宣言してから1週間が経ってしまったが、そろそろ話を始めて行きたいと思う。



毎年この時期になるとプロ野球選手の移籍情報が氾濫するが、特に近年はメジャーへの移籍が多く取り沙汰される。超一流の選手から、お前もか?と疑問を持たれる選手まで、猫も杓子もメジャー、メジャーである。




野球選手である以上、世界最高峰のレベルにチャレンジしたいと言う欲求は当然だが、いざメジャーでプレーした選手が口をそろえて唱えるのがボールパークの美しさである。誰しもが一度はあそこでプレーして見たいと思う。





 










また、ファンの視点から見ても、メジャーの魅力として大きな要因として挙げられるのが、同様にボールパーク(以下:球場)の美しさ・雰囲気ではないだろうか。



これがメジャーの歴史と伝統のなせる技なのか、なんて感心しそうになるのだが、意外にも一部の超レトロ球場を除いて、現在使用されている30球場中、およそ20球場は1990年以降に新設(もしくは大規模な改修)されたものであり、実は非常に新しい球場ばかりなのである。


1991年のコミスキーパーク(現USセルラーフィールド)を皮切りに、未曾有の新球場建設ラッシュが始まったが、来年以降も、ヤンキース、メッツ、ツインズ、ナショナルズ、A'sが既に新球場建設を始めており、ロイヤルズも大規模な改修を予定している。こうして向こう数年間で、ほとんどの球場が新しく生まれ変わることになる。











 


「新球場=観客動員数増加」という信仰の元に、次々と球場を建てて言ったわけだが、過去4年間で史上最高を更新し続けているメジャーの観客動員にもこれは少なからず影響されているはずだ。



新球場に全て、もしくは必ず1つ以上は当てはまるコンセプトは3つ。

① 屋根無し、天然芝であること。
② 新古典スタイル(ネオクラシックスタイル)を取り入れていること。
③ 地元地域の特性や景色を、球場の作りに取り入れていること。




逆に、長らくファンの足を遠ざけていた過去の球場が1つ以上当てはまるコンセプトは3つ。1960年から70年代に建てられた球場はほとんどがこのスタイルである。

① 人工芝、かつ、もしくは屋根付きであること。
② 他競技(圧倒的にアメフトだが)との兼用スタジアムであること。
③ 無機質で画一的、地域の特性が反映されていない。没個性であること。




次回はこのコンセプトを実際のケースに当てはめて、掘り下げていきたいと思う。

2007年11月14日水曜日

1分ニュース

今日の球界ニュースを1分でおさらい。



■ 案の定、広島も多田野獲得に動き出した模様。日ハムと競合か。



■ レッドソックス来季の開幕戦、日本での開催がついに正式決定。相手は予想通りA’s。楽しみだ。



■ しかし一番のニュースは、ボストンのユーキリスがヒゲを剃った。ジョニー・デーモンの時と似たような企画だが、シェービングメーカー「ジレット社」のドネーションイベントにて。







おなじみのBEFORE



















おどろきのAFTER

2007年11月13日火曜日

松坂世代・秘密兵器

ボールパークの魅力について語っていきたいなんてカッコつけた矢先に、全く違った話題である。



さて・・・松坂、和田、新垣、杉内、館山など、現在日米の一線で活躍している松坂世代の投手は多いが、ついに秘密兵器として、多田野数人が日本に帰って来ることになりそうだ。日ハムが今月19日に予定されている社会人・大学ドラフトで指名濃厚とのニュースが飛び交った。





いきなり話は逸れるが、先日のアジアシリーズで、韓国代表・SKワイバーンズが中日との決勝戦で先発に指名したのが元広島のレイボーンで、彼がその前にプレーしていたのが、バッファロー・バイソンズというインディアンス傘下の3Aチームだった。


で、当時のバイソンズの監督が現広島カープのブラウン監督だった訳で、ブラウンが広島監督就任と同時にレイボーンをアメリカから引っ張ってきたのである。結局レイボーンは使えなかったが、同じく当時バイソンズに在籍していた多田野をブラウンが引っ張ってくるのではないかと業界では推測されていた。


そういった意味で日ハムと言うのは意外だった。


ただ、日ハムもマイケルの「逆輸入」で成功を収めていたので、改めてニュースを聞けばなるほどという感じか。


マイケルもブルージェイズ時代は大したことなかったし、多田野も決してアメリカではブレイクすることは出来なかったが、是非日本では先発として活躍する姿を見てみたい。


一度は1位でドラフト指名された実力の持ち主、その可能性は十分にあるだろう。


アメリカ仕込みの球を存分に見せつけて欲しい。


デカから何かアドバイスは?と聞かれたら、くれぐれも”玉遊び”は程ほどにと言いたい。

2007年11月11日日曜日

球場改革 

熱狂的野球ファンの皆様は既にG+に加入されていることと思いますが、相当マニアックな企画が盛りだくさんである。オフシーズンにもかかわらず、久々にG+にチャンネルを回すと『ジャイアンツ・ヴィンテージ』なる番組が放映されていた。要は昔の中継映像を流しているわけだが、今日は1973年当時の巨人vs阪神戦であった。



カラーの中継映像で、躍動する江夏、田淵、長嶋、王を見ることが出来るだけでも震えた。実況も当時のままで、非常に臨場感が伝わってくる素晴らしい企画だ。日テレは、アホなバラエティよりこちらを地上波のゴールデンで放送すべきと思う。



で、その他何を思ったかというと、後楽園球場が天然芝+土のグラウンドだったのがやけに感慨深かった。晩年は人工芝に張り替えられ、1987年に取り壊されるまでその使命を全うしたと聞くが、無機質な東京ドームしか記憶に無い僕としてはやはり芝と土の匂いがする球場が都会のど真ん中にあったことが非常にうらやましかった。



東京ドームが全天候型多目的スタジアムで一応の成功を収めた後の未曾有のドーム建設ラッシュはご承知の通りである。かくして「屋根付き+人工芝の野球場」という悪の方程式が成り立っていくわけである。言い換えれば野球場負の時代の到来である。



話をアメリカに振ろう。



メジャーでは今でこそ「屋根無し+天然芝のボールパーク」が当たり前に叫ばれているが、リグレー、フェンウェイ、ヤンキースタジアムなど、一部の伝統的な球場を除いて、実は多くの球場にとって負の時代が長らく続いていたのである。



そこで、今後本ブログではそんな歴史的背景から、現存する素晴らしいボールパークの魅力までを出来るだけわかり易く、独自の視点で語っていこうと思う。いつの日か再び東京に芝と土の野球場が完成することを祈って・・・



もちろん今後も時々全く関係無い、どうでもいいネタが投稿されるかもしれないが、どうかご容赦を。