2008年1月31日木曜日

聖地 (はじめに)

昨日は大阪に行き、うんちく検事とミーティングを。



帰りの新幹線でたまたま隣に座ったアメリカ人のおばあちゃん(推定70歳)がやたら話しかけてきたので、話を聞いてると何でも「灯台」マニアらしい。日本は世界でも稀にみる灯台の宝庫らしい。



そして彼女ははるばるニューヨークから時間を見つけては、南は鹿児島から北は北海道まで、日本中の灯台を巡っているらしい。結局灯台の魅力を2時間以上も語ってくれた。ディープな世界である。



ちなみに日本の次に灯台が素晴らしい国は?と聞くと迷わずチリ!と言っていた。思わずへぇ~。と。



尚、デカが知ってる灯台は江ノ島だけである。












これではお前はうんちく検事とミーティングをして、おばあちゃんと灯台の話をしながら帰ってきただけなのか?なんてお叱りを受けかねない内容だが、ちゃんと甲子園球場(以下甲子園)の改装についての捜査を行ってきた。




皆さんご承知の通り、2007年オフから2010年の開幕にかけて甲子園は徐々に改装されていく。伝統を継承しながら、最新鋭の設備が部分的に投入されていく予定。



工事は全てオフシーズンという徹底ぶりで、春・夏の高校野球やプロ野球の開催に影響は与えない。ただしタイガースが08年、09年シーズンにプレーオフ進出した場合のみ、他球場(京セラドームorスカイマーク)を臨時ホーム扱いとする。


以前は新しいドーム球場を建設するなんて噂もちらほら聞こえてきたが、あえなく断念。(良かった…)



いずれにしろ「建て替え」ではなく、「改修」という選択をしたからには、これからも永遠の聖地として現役で頑張ってもらいたいものである。




ということで今後数回に渡り、今までの甲子園とその個性を振り返るとともに、改修のポイントについて触れて行きたいと思う。



2008年1月28日月曜日

余計な心配

デカは仕事柄スポーツ紙をほぼ全て見てるけど、塾高甲子園出場の記事は予想以上に大きく取り上げられていた。ネット上でもしかりである。


というのもやはりエースの田村君が力道山の孫であるから。


マスコミにとって相当キャッチーなネタであることは間違いないし、母校の記事を色々な所で発見すること自体は嬉しい。


しかし田村君に話題が集中しすぎて、彼1人にプレッシャーが掛かったり、チームの調和が乱れないかと心配にもなるわけだ。


先日結婚の報告に日吉のグランドまで行ったアゴさんの話によると、上田監督のマスコミへの対応も大変そうだとのこと。事実当日も数社がグランドまで押しかけていたそうだ。


まあ、当時のデカなら舞い上がって勘違いしていたかもしれないが、大舞台に慣れている今の選手たちにはそんなこと関係ないか・・・


そう願いたい。


3年前は中林1人に頼っていた投手陣だが、今回は田村・只野の左右2枚看板で心強い。一つでも多く勝って、一試合でも多く甲子園での雄姿を見せてくれ。


しかしセンバツがレッドソックス開幕戦と日程が重なる心配もあり、パーマンばりにコピーロボットが欲しいくらいだと、今から余計な心配をしているわけである。


エンジョイベースボール♪

2008年1月25日金曜日

速報

みなさんの予想通りといえば予想通りですが。


良かったですね。


またみんなで西宮に集合出来るといいですね。


前回雨天中止で試合を見れずに帰った人も、出世したくて会社を休まなかった人も、今回はリベンジできると良いですね。


春に向けて楽しみが一つ増えました。


後は組み合わせと日程次第。


エンジョイベースボール♪

2008年1月22日火曜日

神にまつわるエトセトラ

先日最後にちょこっと触れたチャンピオンリングについて、話しをもう少し。




リングの製作数や、授与対象者は特にこれといった規定は無く、チーム(というかオーナー)によって都度決められることになる。

















前回のホワイトソックスの場合は途中放出・解雇した選手はもちろん、球団職員全員にも作ったらしく、シカゴの友人保安官は太っ腹のオーナーが全員に作って費用も負担してくれたんだぜと、自慢げに語っていた。金額までは聞かなかったが、決して安くは無い代物だろう。




そのオーナーこそ、ジェリー・ラインズドルフである。尚、彼は同じシカゴのNBAチーム、シカゴ・ブルズも保有している。ホワイトソックスにもブルズにもあまり金をかけて選手を取らないケチオーナーとファンからは陰口を叩かれているが、チャンピオンリング製作時だけは太っ腹だったらしい。




ご存知ブルズではマイケル・ジョーダン擁して黄金時代を経験した同氏だが、ホワイトソックスのワールドチャンピオンはそれとは比較にならないくらい喜んだらしい。いかんせんこっちは88年振りだもの。


















ここで一つ思い出されるのが全盛期のジョーダンが突如引退→メジャーリーグに挑戦すると言い始めたことを。勘の鋭い皆さんならもうお気づきだろう。





当時いくらなんでもそれは無理だろと思っていたファンの心配をよそに、早々に2Aバーミンガム・バロンズ入団を決めたジョーダンだったが、実はココはホワイトソックスの傘下のチームであったのだ。つまりラインズドルフの差し金によるコネ入団だと。



















かくしてメジャーを目指して野球に打ち込んだジョーダンだったが、結局2年間挑戦したのち、最後までメジャーに昇格すること無く再びNBAに戻った訳である。本気でメジャーデビューを目指していたものの、時は95年、長引くストライキに業を煮やしてNBA復帰を決めたらしいが、最後まで諦めずに頑張ろうとジョーダンを励ましていたのは当時バロンズの監督だったテリー・フランコーナだった。




















そう、現ボストン・レッドソックス監督である。





面倒見が良く、人望も厚い同氏にファンは多いが、バスケットファンからは、フランコーナがジョーダンを暖かく励まし続けたせいで、NBAへの復帰が1年遅れたなんて憎まれ口を叩かれたくらい。




当時の友情は今も続いてるそうで、野球好きのジョーダンは試合観戦にかこつけて度々フランコーナの元を訪ねているそうだ。




話は変わるが、昨年松坂がメジャー移籍した時のスプリングキャンプは空前の大フィーバーとなり、日米のマスコミがわんさかキャンプ地に押しかけたのはご記憶に新しいはず。




当時監督のフランコーナは、こんな人だかりはあの時以来だな~なんて、以前のジョーダン・フィーバーを懐かしむような余裕のコメントだったわけである。




なんかこの人いつもニコニコしててデカは好きなのだ。




ラミレスやオルティスといった猛獣達はおろか、神様まで手なずけてしまうんだから、この人きっとタダモノではないはずだ。

2008年1月21日月曜日

ミスター・ゼロ

高津、カブスとマイナー契約。


先週末流れた小さな扱いのニュースではあったが、実は個人的に気になっていた事なので、思わず目に留まった。



正直昨季で引退だろうと予想していたが、またまたアメリカで現役を続けるようだ。そのモチベーションは一体何なんだろうと。




高津は高校時代デカの好きな投手の一人だった。




ヤクルトの黄金時代を支え、古田とのバッテリーは90年代のプロ野球を代表するコンビといっても過言ではないはず。何度見ただろう、この姿を。
















しかし海を渡ってメジャーに挑戦したあたりから皆さんの記憶から徐々に印象が薄くなっていったことと思う。



一般的にアメリカでの活躍と人気はあまり日本では広く知られていないが、ファンの1人として当時の様子を伝えたいと思う。




なぜあまり日本で報道されなかったかと言うと2004年(高津移籍1年目)はイチローが年間最多安打の記録を更新した年であり、ほとんどメディアの扱いがそれに偏ってしまったからだとデカは推測する。






とにかくメジャー挑戦初年度はトライアウトの末ホワイトソックスへ入団→当初は中継ぎ→好調が続き→シーズン後半は抑えに昇格。伝家の宝刀シンカーと、クソ遅いカーブ(日本ではほとんど投げてなかった)で並みいる強打者を討ち取っていく姿は実に爽快だった。



日本から来たオッサンピッチャーが100km/h前後の球で空振りを取るたびに、地元ファンはメチャクチャ喜んでいた。




ある日、高津を温存して別のセットアッパーで逃げ切ろうなんてベンチの魂胆が見えたときには、スタンドが総立ちでシンゴコールを始めたものだ。案の定セットアッパーがランナーを溜めるといよいよ高津の出番。やたらカッコいい音楽とビジョンの映像に乗って登場する訳である。イッツ・シンゴ・タイム。

 














そして、ついたあだ名はミスター・ゼロ。



センスの良さそうなアメリカ人もダサいニックネームをつけるものだと唸ったものだ。













高津登場の際にはわざわざ日本語でビジョンに流したり、グッズも日本語のプリントを施したTシャツなんかがチームショップに並び、ちょっとしたミスター・ゼロのブームを巻き起こしていた。




まあ、とにかく日本では想像できないほど当時シカゴでは凄まじい人気を誇っていたわけである。















かくして大成功を収めたのだが、翌2005年はシーズン当初から不調が続き、そのまま解雇。メッツに拾われ再びメジャー昇格を果たしたものの、結局その年を最後にヤクルトへ復帰。


復帰後の2年間もあまりパッとしなかったが、もう一度あの当時の歓声を浴びたい!!という高津の執念が今回の契約に結びつけたのではと勝手に想像する。





ちなみに、当時高津を解雇したホワイトソックスは皮肉にも、その年88年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。あぁ、あと一年早ければ・・・




でもそれまでのチームへの貢献が認められ、途中移籍したにも関わらずチャンピオンリングを贈られたそう。ある意味ラッキーである。





尚、日本人選手のチャンピオンリング保持者は高津の他に5人。(伊良部)、井口、田口、松坂、岡島。羨ましい限りである。バリー・ボンズも持っていないのに!












2008年1月17日木曜日

どうでもいい話し

最近にっこりテリーが好調のようだ。



この更新のペースから見るに、心を入れ替えた模様である。




年末年始テレビを見る機会がいつもより多かったが、しっかし岡島よく出てたわ。普段あまりテレビを見ないデカがそう思うのだから、トータルでは相当の出演数だったに違いない。



どっからどう見ても良い人そうなのに・・・














おっと、本ブログで批判や悪口は厳禁であった。




そんなどうでも良いことを昨日のMLB開幕戦@東京ドームの記者会見を見て思い出した次第である。



尚、今回のレッドソックスvsアスレチックスの開幕戦はアスレチックスの主催ゲームである。故にアスレチックスがホーム用ユニフォーム(白ベース)、レッドソックスはアウェイ用ユニフォーム(グレーベース)を着用する予定だ。




前回2004年のヤンキースvsデビルレイズ(現レイズ)の時はデビルレイズが主催=ホームだったにも関わらず、日本のファンがピンストライプが見たがってるからという強引な理由でヤンキースがホーム用ユニフォーム(ピンストライプ)を着用、デビルレイズがアウェイ用ユニフォームを着用した、かなり特異なケースだった。可愛そうに。



さすがに今回はレッドソックスのホーム用ユニフォームにこだわってる日本人は少ないと思うので、そんなことは無いと思うのだが。





以上うんちくにもならない、どうでもいい話でした。

2008年1月16日水曜日

ずんぐりした人、動物

Pudge(パッジ)という英単語を辞書で引くとこう書いてある。
















そう、イバン・ロドリゲスのニックネームである。一時期A-Rod にちなんでI-Rodなんて呼ばれてたが、こちらはいまいち定着していないように思う。むしろ最近ではK-Rodの方がポピュラーか。
















ちなみにK-Rodはこの人。鬼のようなスライダーを投げます。




さて、パッジ、MLB現役最高のキャッチャーと呼ばれて久しいが、ここ数年のパワーダウンはちと否めない。そうはいっても実績はこの上ないし、今だ「日本で一番知名度のあるメジャーリーグのキャッチャー」であることは間違いないだろう。





今日はそんな彼のちょっと良い話を一つだけ。




若干19歳でレンジャースにてメジャーデビューを果たしたパッジだが、昇格する日に運悪く結婚式を予定していたらしい。




前日に昇格の知らせを聞いたパッジは迷わず翌日の結婚式をキャンセルし、一刻も早くチームに合流したいと嫁さんに言ったそうだ。





もちろん嫁さんは号泣。





それを知ったチームも事情が事情なので、式を済ませて1日送れて合流すれば良いといったらしいのだが、パッジはそれでも首を縦に振らず。




結局式は行わず、朝一番で結婚の手続きだけ済ませてそのまま飛行機に飛び乗り、嫁さんと共にチームに合流した。




その日の試合にスタメン・キャッチャーで出場、9回2死からチームを逆転勝利に導く2点タイムリーヒットを放つ。かくして華々しいメジャーデビューを飾った訳だが、実はその日のスタメンは予定に無く、突然決まったらしい。




事情を知った監督があまりにも嫁さんが可愛そうだということで、せめて結婚のお祝いにということで実現したものだったそうな。







その監督こそ当時レンジャースの指揮を執っていた、ボビー・バレンタインである。


















粋である。





その後のパッジの活躍はみなさんご承知の通り。オールスターには14回出場。個人的には絶対不可能と言われたヤンキースを倒しての、フロリダ・マーリンズでのワールドチャンピョンが印象深い。皆さんもご記憶に新しい2003年のことだ。




ちなみに優勝を決めた試合のマーリンズ先発はあのジョシュ・ベケット、今後も語り継がれるであろう伝説の完封勝利である。


















余談だが、ボビー・バレンタインもかの南カルフォルニア大(USC)の出身であり、ランディ・ジョンソンやマグワイアの先輩に当たる。





まさに人に歴史あり。





しかし19歳で結婚は早いなっ。

2008年1月14日月曜日

イチローの家 (その2)

野球場で過ごす数時間がファンにとって快適なものになるか否か、それを決定付けるのはコンコースのアクセスの良さではないかと個人的には思っている。











例えばこのセーフコ・フィールドや、以前取り上げたシカゴのUSセルラー・フィールドなどはコンコース階は360度一周アクセス可能で、しかもどこからでもフィールドが見える作りになっている。もはやこれはどこのMLBの新球場でも常識である。














これにより座席を離れて、売店やチームストアに足を運ぶときでもフィールドの様子を常に確認することが出来る。また、外野等にはアミューズメントエリアなども設けられているため、席にへばりついて野球を見るだけでなく、球場全体で有意義な時間を過ごすことができ、まさにこれがボールパークたる所以ではないかと思う。




例えば、横浜スタジアム、神宮球場、甲子園球場、千葉マリンスタジアムなどをイメージしてもらいたい。コンコースはスタンドの裏側に作られているため、一度座席を離れ出入り口をくぐるとフィールドの様子を伺うことができない。故に座席と売店・トイレの単純往復になってしまい、他で時間をつぶすことが難しいはず。




東京ドームに関して言えば、一部オープンコンコースになっているものの、外野席の手前でコンコースは途切れており、一周することは出来ない。また、コンコースからフィールドを見ることは立ち見席以外では想定されていないため、実際居場所が無いことがある。




このように国内の野球場に関して言えば、ファンにとっての観戦環境は良くない。仮に、球場の作りがオープンコンコースになっていても、チケットの種類などでアクセスを制限する係員などに止められたりして非常に不快な思いをするわけだ。




2009年オープン予定の新広島市民球場はこの点を改善し、球場一周アクセス可能なコンコースを設計しているらしく、今からその出来栄えが楽しみである。




話が完全に脱線した。


要は何が言いたかったかというと、せっかくチケットを買って野球場に入ったなら、可能な限り歩き回って色々な発見をしてみたいということ。




例えばこのセーフコ・フィールドであれば、コンコースを歩いているとどこからともなく、香ばしいガーリックの匂いが。これはセーフコ名物のGrounders Garlic Friesという、単純にフライドポテトにガーリックがまぶしてあるものだが、半端じゃなく美味い。球場内数箇所で販売されているはずなので、観戦の際には是非お試しいただきたい。




コンコース階の上にはテラス席階や、スイートルーム階などが3層ほどに渡って構成されており、こちらにアクセスするには専用のパスが必要となる。まあ、普通用は無いので必要ない。




余談だが、セーフコにスイートルームは60~70部屋あり、ホームプレートからど真ん中の部屋は「オーナーズスイート」と呼ばれている。東京ドームで言ったらナベツネがたまに手を振ってるところ。部屋には任天堂・山内氏の肖像が仰々しく飾られているのだが、本人は大の飛行機嫌いのため、一度も球場に来た事がないらしい。












スイートルームは法人が接待目的で使用するケースのが多く、フィールドからの距離も遠いので個人的にプレミアムとは思わない。



本当にプレミアムなのはバックネット裏一帯の「ダイヤモンドクラブ」というエリアで、年間シートのみで購入可能。個人で年間シートの購入は無理なので、どうしても欲しい場合はブローカーに頼むと1枚=250ドル程度で手配してくれるケースも。




ココはバックネット裏の臨場感に加えて、食べ放題、飲み放題、になっている。席の後ろにはバイキングやバースペースがあるので、自由に飲食ができるし、場合によってはスタッフのギャルが席までオーダーを取りに来てくれるので、まさに至れり尽くせりといったわけである。





























イバン・ロドリゲスやイチローもこの迫力。 下は、偶然2006年にシアトルで再会したペタジーニ。



そういえばイバン・ロドリゲスの良い話を思い出したので、またそれは次回。

2008年1月13日日曜日

イチローの家 (その1)

いよいよ球場へ。














セーフコ・フィールドについてまず言えることは新しいということ。1999年のオープンで、これはアメリカンリーグで現役の球場で2番目に新しい。(1番新しいのは2000年オープンのコメリカ・パーク@デトロイト)。ちなみに99年といえば、大魔神が移籍する前年である。




故に90年以降建設された一連の新球場に共通したエッセンスを含んでおり、野球場として非常に完成度の高い部類に入るのではないかと個人的に思う。




しかし、意外にもココはHOKの作品ではなく、レンジャース・ボールパーク・イン・アーリントンとともに希少な非HOK作品としての存在価値を今後高めていってもらいたいところである。



とは言いながらも、他のHOK作品の新球場と共通した雰囲気を醸し出していることから、いかに当時(今もなおだが)HOKの影響力が強かったかということを逆説的に主張している気もする・・・




唯一HOK作品と非HOK作品の間に違いを見出そうとするなら、キャパシティか。HOKがボルチモア、クリーブランド、ピッツバーグなどのキャパを敢えて小さくし、成功を収めた手法とは逆行し、シアトル、テキサスは大箱である。




しかしセーフコは開場して以来、マリナーズの成績がしばらく良かったこともあり、観客動員はMLBの中でも常に上位に位置していたと記憶している。そういった意味では大箱を作ったことは成功だったのかも知れないが、ここ数年はチームの成績とともに観客動員が落ち込んでいると聞く。





ちなみにマリナーズはかつてキング・ドームを本拠地として使用していたが、こちらが完全密封式ドーム、天然芝、おまけにNFLのシーホークスとの共用スタジアムであったことを考えれば、今がチームとファンにとって格段に良い環境なのはいうまでも無い。














尚、キング・ドームは決して「王様ドーム」ということではなく、辺りがKing County(キング郡)に属していることからそう命名されただけの話。99年を最後に爆破解体され、跡地にはシーホークスの本拠地、クエスト・フィールドが建設された。遠目から見ると、お隣のセーフコと外見がソックリ。左の白いのがクエスト、右の黒いのがセーフコ。 拡大するとお分かり頂けるだろう。



















シアトルは天気があまり良くないというがが、開閉式の屋根がついているので雨天中止の心配もご無用。福岡のYahoo!Japanドームや、トロントのロジャースセンターなど、開閉式の球場はいくつも存在するが、あれらは「ドームの屋根が開く」という印象であるのに対し、セーフコはその逆。可動式の屋根がついている事すら忘れてしまうくらい開放感があり、他の屋根無し球場と比較してなんら遜色はない。 



球場の背面(センター後方)に、列車の線路をまたぐように屋根が待機している。横から見るとこんな感じ。列車のパオーンという汽笛は試合中も度々響き渡り、これはNHKの衛星中継でもおなじみである。








       続く。

2008年1月7日月曜日

Ever Green State (その2)

まだまだ球場までたどり着くには時間がかかる。



シアトルのあるワシントン州はエバーグリーン・ステイトと言われるだけあって、自然のスケールが半端ではない。小ぶりなダウンタウンこそ都市を形成しているが、車で20分も走れば果てしない緑の森が続く。











さらにフェリーでオリンピック半島まで渡れば初夏でも雪がまだ残っているし、そこら辺にシカがいたりする。ゴルフ場を探すのにも苦労はしない。


 

 







大自然の魅力と洗練された空間の共有こそがシアトルの魅力であり、時間がある方はこのギャップを楽しんで頂きたい。




カップルで行くなら是非夕食はCanlisへ。デカは残念ながら女性と行ったことは無いが、相当ロマンティックなレストランである。高価なワインさえオーダーしなければ金額もアホみたいに高くないし、プライスレスな時間を保証してくれるはず。行かれる際は是非窓際の席を予約されたい。かの弓子夫人も大のお気に入り(らしい)。 大推薦。




宿はもし良いトコをお探しなら是非グランドハイアット・シアトルへ。他都市より値段はリーズナブルだし、マリナーズの対戦チームの常宿と決まっているのでロビーで選手がウロウロしてることも多々ある。



いよいよ次回は球場に向かうつもりなのだが、道中にあるアンダーグランドツアーというものも紹介しておこう。実はシアトルには地下都市が存在していて、かつてはそこが地上1階だった。つまり現在の1階は2階にあたるというわけ。















昔シアトル中を巻き込んだ大規模な火災があって街を復興する際に、街の上に街を作ってしまったらしい。また、当時の治安が最悪に悪かったために、いっそゼロから作り直そうということだったようだ。かくして平和でクリーンな現在の街が誕生したのだとさ。




特にこのツアーは球場近くでもお目にかかれるので、暇つぶしに是非。




続く・・・

2008年1月6日日曜日

Ever Green State (その1)

僕の祖父は大の野球好きにも関らず、今までメジャーリーグの試合を生で見た事が無い。そこでデカは今年の夏にじいちゃんをボールパークに連れて行く計画を立てることにした。



どこに連れて行こうかと現実的に考え始めたら、すぐにセーフコ・フィールドだと思った。あとは好カードを狙って予定を組もうかと。



なぜか。


















イチローの存在は言うまでも無いが、球場やファンの雰囲気も素晴らしく、シアトルの街も含めて、非常に日本人にとって快適な旅ができるハズだからである。特に老人や女性にとって。




日本から最も近いアメリカの都市(もちろんハワイやアラスカを除く)なので、東海岸と比べたら半分くらいの距離に感じる。野球だけ見るならシアトル2泊4日でもいいし、他に寄りたいのであればバンクーバー、サンフランシスコ、LA、ハワイなんかに周遊チケットで飛ぶのもアリである。



そこまでしなくても・・・という人にはシアトルのシブい観光スポットを紹介しよう。



はて、シアトルと言えば!?昔ならスペースニードル、今ならスターバックスか。
















スタバ1号店はダウンタウンのパイクプレイスマーケット(魚市場)の中にあるので散歩がてら是非チェックされたい。観光客でごった返しているはずだが、1号店限定マグカップはお土産にも最適である。ロゴがおなじみの緑ではなく、茶色なのでちょっとした話のネタくらいにはなるかも。















ちなみにパイクプレイスマーケットは魚屋のおっさんが魚を豪快に投げることで日本でもおなじみ。



スタバといえば今や世界的な巨大企業だが、他にもタリーズ、AMAZON、マイクロソフト、ボーイングなどがシアトル発である。



特にボーイングはかつてシアトル市民の約3割が関係者というくらい影響力があったそうで、本社がシカゴに移転したときは相当の衝撃だったそう。それでも今も超巨大な工場(自社空港付き)は稼動しており、同社の工場見学のツアーは人気を博している。




ちなみにエディ・バウワーもシアトル発祥であり、アウトドア好きはダウンタウンにある巨大なショップを訪れていただきたい。




もう一つシアトル在の優良企業を挙げるなら。そう、ニンテンドー・オブ・アメリカである。長らくここを北米の拠点に活動してきた任天堂(と山内博氏)が後にマリナーズのオーナーになるのである。この話はまたいつか。




続く・・・

2008年1月5日土曜日

ハネムーン 

と言っても、もちろん僕ではない。


先日結婚したばかりの某親友から一通のe-mailが。


なんでも来季シアトル・マリナーズの開幕戦@セーフコ・フィールドを彼のハネムーンの旅程に組み込みたいと言うのだ。


まさに野球好きの鏡。


そこで本ブログでは今後数回に渡り、シアトルとセーフコ・フィールドの魅力についてダラダラと書いていきたいと思う。


(尚、支障は無いはずだが本人の了解をとっていないため、当人の名前は伏せておく。察しがつく人はいるだろうが。)


続く・・・

2008年1月1日火曜日

謹賀新年


明けましておめでとう御座います。


本年も野球と野球刑事とDJ SOXを宜しくお願いします♪