2009年11月26日木曜日

ユニフォームの歴史は野球の歴史 (キテレツ編)

ということで、一部のチームを除いて、ワリと保守的に進化していったメジャーリーグのユニフォームたちであるが、今日現在でさえセンスのないデザインが氾濫している、プロ野球界は正にキテレツユニフォームの宝庫といっても過言ではない。




昨今では米国に倣い、交流戦やら”Turn Back The Clock Day”的なイベントも行われており、皆さんも多種多様なユニフォームを目にされているだろう。













                       
                       
というか、バリエーションが多すぎて、正直どれがどこのユニフォームだか、今現在どのユニフォームが正式なものなのか、イマイチよくわからないくらいである。(個人的に西鉄ライオンズのユニは好き。)



そもそもプロ野球のユニフォームの歴史自体、良くいえば「アグレッシブかつ個性的に」、悪くいえば「全くコンセプトや統一感を欠きながら」発展を遂げてきたと言える。




あまりデザイン的に昔からブレがないのは、阪神、巨人、広島ぐらいなもんである。


























                                                   

そこで、時系列はバラバラだが、今回は個人的に気になるキテレツユニフォームたちを紹介していきたいと思う。




ただし、原則記憶の限りなため、特に古いサンプルに関しては、いつかこの本を購入したらよりよい考察が書けるだろうということで、その辺はまたいつか。




キテレツユニフォーム界の初代チャンピオンと言えば、やはり1973年の日拓ホームフライヤーズの7色のユニフォームだろう。
























日替わり、試合ごとにユニフォームを変えていくという発想、奇抜なデザイン、どれをとっても超一流のキテレツである。






結局球団自体が1年しか存続しなかったため(東映と日ハムの中継ぎ的な感じで)、この7色ユニフォームは短命に終わったが、今もプロ野球史にその名を残す伝説となっている。尚、発案者は当時日拓の社長であった西村昭孝であり、その息子・拓郎は神田うのの現ダンナ。





しかし伝説の7色ユニの王座も、たった3年で奪われることになる。1976年、太平洋クラブライオンズのピンクユニも、殿堂入り間違い無しのキテレツぶりである。
























思わずマスターズリーグと見間違えるくらいのキテレツ具合だが、プルオーバー、ベルトレス、カラーニット、アメフト調のデザイン等、当時の技術とハヤリの粋を集めながら、とにかくその奇抜さだけが印象的。




























アメフト調デザインの採用によるものと思われるが、背面だけでなく、前面にも大きく番号をあしらったタイプは今後も不出世だろう。


























当時は1軍だけで採用され、2軍では別のユニが義務付けられていたそうだが、これでは誰も1軍に昇格したがらなかったのではと同情する。結局ピンクユニは1年でその役目を終えた。







ただ、当時のユニフォーム素材の進歩により、7080年代は、とにかくカラフルなデザインのユニフォームが時代を席巻した。







これはドカベン香川と(まだ投手だった頃の)池田高校を出たばかりの畠山の貴重なツーショット。ソラマメ色のユニフォームとスペースシャトルのイラストがイナた過ぎる。



































その後、南海ホークスはダイエーに身売りされることになるが、ダイエーと言えばガッチャマンヘルメットだろう。


































当時の助っ人、トニー・バナザードがガッチャマンを次々破壊していく姿は、珍プレー好プレーの鉄板ネタだった。







ちなみにガッチャマンヘルメットは、あのイッセイ・ミヤケによるデザインである。























デザイナー繋がりでいえば、岡本太郎が生み出した近鉄バファローズの”角のマーク”は有名だが、最近ではコシノ・ジュンコによる阪神の交流戦ユニはオゲレツデザインだった。しかしファッションデザイナーに仕事を依頼するあたりが安易だよね。。。























最近のキテレツユニフォーム界をグイグイリードしているのは、毎年わけのわからんデザインを次々発表し続けるロッテで間違いないだろう。
























普通にホーム用のピンストライプは悪くないのに、どうもあのギザギザの”ハッピ柄”がキツい。





これはちょっと前、2005年度のタイプだが、パンツが黒いバージョンは、ファンからも「植木職人」と揶揄されていた。






































最後に、、、楽天が今年採用した、ファンによってデザインされた交流戦用ユニだが、大胆にEglesEをあしらったデザインのようだが、どうみても「毛」に見える。







                                                  

こうやってイチイチ突っ込んでいくとキリがないので、またいつかネタがたまってきたら、続編をやりたい。

2009年11月19日木曜日

ユニフォームの歴史は野球の歴史 (白靴下軍団編)

1800年代終盤に産声を上げた野球も、1900年代初頭にはすでにプロリーグが開設。現在のメジャーリーグの原型がすでに出来上がる。







それからおよそ2030年の間でユニフォームのデザインも多様化し、驚くべきことに、ほとんどの名門チームはこの頃のデザインを基本に、大幅な変更がないまま今日まで来ている。







しかし、ユニフォームのデザインに対して、常に変革、革新を求め、時代の最先端を走り続けようとして、成功と失敗を重ねてきたチームがある。






我がシカゴ・ホワイトソックスである





そこでホワイトソックスのユニフォームの歴史を軸に、創成期から今日までの流れを大まかに見ていきたい。






文字通り「シカゴ・ホワイトストッキングス」として産声を上げたチームは、もちろんホワイトストッキング(白靴下)をはいていた。これは1906年、ワールドチャンピオン時の写真。(上着に襟がついているのも必見。)










また、これは1912年当時のNYヤンキースだが、驚くべきことに、およそ100年前のこの当時に、現在のデザインの原型が既に完成している。









んで、1917年のホワイトソックス。ユニフォームの袖には合衆国国旗がこれはアメリカが第一次世界大戦時に参戦したため、ファンや国民のナショナリズムをかきたてようという狙い。これも現在まで続く習わし。下は2001年の同時多発テロ直後に、全球団共通して国旗を背中に入れてプレーした時のもの。












尚、Sの間にOXが入っているユニークなロゴは、通称「○×ゲーム」ロゴと呼ばれ(ウソ)、いまもコアなファンに愛されている。デカは同デザインのキャップを保有している。





こっちは1930年代のブルックリン・ドジャース(現LAドジャース)。フランチャイズこそ変わったものの、おなじみの筆記体のフォントは今日まで受け継がれている。(また上着がボタン留めではなく、ジッパーになっているのも当時のハヤリ。)










さらに、ユニフォームに背番号が付きだしたのもちょうどこの頃。






その後、しばらく経った1960年。ホワイトソックスが大きなトレンドを発信する。










背番号の上に、選手の名前を付けたのだこれが今までありそでなかった手で、あっという間にユニフォームデザインのスタンダードとなった。(ヤンキースやジャイアンツなどのように、いまだに名前を入れないチームも存在するが。ただ、チームストアでは敢えて選手の名前を入れたレプリカユニフォームやTシャツ商品を販売しているケースが多い。その方が分かりやすいからね。)












余談だが、選手の入れ替えが激しく行われるメジャーでは、日替わりでも登録選手の名前を変えられるようにと、背番号はそのままで、選手名の部分だけ独立させて、後から縫いつけるようにしている。(一概には言えないが)この作業が施されているか否かが、実際の試合着用型とレプリカを見分けるコツだったりもするのだ。特に選手の直筆サインものなんかは値段が全然変わってくる。









さて、70年代になると、繊維や裁縫の技術が発達したのか、ストレッチ型のプルオーバーや、ベルトレスタイプ(腹回りがゴム)のユニフォームもお目見えする。プルオーバーもベルトレスもあまり好きではないが、これは日本でも結構流行ったと思う。










順調に進化してきたユニフォームの歴史であるが、1976年、ホワイトソックスに1つ目の悲劇が訪れる。









史上初の、短パンユニである。







よく考えれば、ラグビーもサッカーもバレーボールもバスケも、時にはゴルフもみんな短パンで行う競技なのに、なぜか野球で短パンは違和感を禁じ得ない。(ただ、微妙に”白靴下”に回帰している点は見逃せない。)










結局予想通りというか、あえなく1年で廃盤となった。







デザイン的な云々もあったかと思うが、当時の選手のコメントによると「スライディングが痛い」という評判だったそう。そんなの、やる前に見れば分かるじゃん。








80年代に入ると再びホワイトソックスに2度目の悲劇が訪れる。当時流行ったアメフトタイプのプルオーバー型ユニフォームはまだいいが、なんとレッドソックス(赤靴下)になってしまったのだ。何色にしようと構わないけど、赤にだけはするべきではなかったのではと思うが、どうだろう。写真は現監督のオジー・ギーエン。












ただ、この手のデザインはファンの間では意外と人気で、現在でもチームストアで当時のユニフォームは売っているし、僕もスタジャンを一つ持っている(着てると十中八九、それレッドソックス?って聞かれるのがイヤだけど)。

















結局このデザインは5年間生き延びた。







90年代に入り、新球場(今のUSセルラーフィールド)の開場と同時に、現在のデザインに変更されたデザインはようやく落ち着きを見せることになる。シンプルなデザインでいいとは思うが、一部ファンからは黒色のストッキングが、忌わしい『ブラックソックス事件』(ご存じホワイトソックス選手が首謀した、MLB球史に残る八百長事件。)を思い出させると、皮肉交じりに取り上げられていたこともある。
















上記でざっと100年間の歴史を辿ってきたわけだが、ホワイトソックスや一部の新興球団を除けば、意外とメジャーのユニフォームのデザインは保守的に進化していったと言えよう。球史にその名を残す”キテレツユニフォーム”は、むしろ日本のプロ野球に軍配が上がる。次回はその辺をフィーチャーしよう。







もうちょい続く。。。

2009年11月15日日曜日

ユニフォームの歴史は野球の歴史 (ストッキング編)

野球のユニフォーム姿を完成させるには、実に様々なアイテムが必要である。                                                                                    





アンダーシャツを着て、上着のユニフォームを着て、ズボンを穿いて、ベルトを締めて、キャップを被る。




んで、ストッキング。




アンダーストッキングを穿き、さらにアーチ型のストッキングをその上からはく。




皆さんも疑問に思ったことが一度はあるだろう。




なんで靴下を2枚も重ねてはかなきゃならないのかと。。。                                                                                          






2枚重ねではいたストッキングはプレー中にはズルズル下がってきたりして気になるもんだから、マジックテープや、テーピングで縛って、落ちないように工夫もしたものだ。




しかし、、、野球とそのユニフォームの歴史を語る上で、この地味で目立たない「ストッキング」というアイテムが欠かせないのである。




今回はこの辺のハナシをしていきたい。




野球が誕生して間もないころ、ニッカポッカ姿でプレーに興じていた人たちは、次第にチームを作り、対戦相手を求めるようになっていった。




その当時の野球チームの名称は、やたら「○○○(地名)+ストッキングス」というものが目立つ。




全米最古のプロ野球チームと言われている、シンシナティ・レッドストッキングスをはじめ、その後もシカゴ・ホワイトストッキングスや、セントルイス・ブラウンストッキングス、ボストン・レッドストッキングス、等々、、、




おなじみの、シカゴ・ホワイトソックスや、ボストン・レッドソックスは、この起源から現在までチーム名の名残が残る。(”ストッキングス”が長いから”ソックス”に略しただけ。)




ちなみに現在のシンシナティ・レッズのRedsも”レッドストッキングス”の略であり、こちらも隠れたもう一つの赤靴下球団なのである。(シンシナティのオリジナルメンバーがボストンに移住し、新たにレッドストッキングス、後のレッドソックスを作ったと言われている。)




で、なんで当時、こんなに「ストッキングス」ってチーム名が蔓延してたのかというと、これはきちんと文献を調べたわけではなく、個人的な推測が入ってるのだが、その理由はほぼ間違い無いと思う。




こういうことだ。




まだ当時はユニフォームのデザインのバリエーションが無く、敵味方が分かりにくかったから、一番手っ取り早い方法で、チームの靴下の色を揃えて、判別させやすくしようと思ったのだろう。




だから、赤い靴下、白い靴下、茶色の靴下、青い靴下、等々いろんな色の靴下のチームが誕生したものと思われる。




いわば靴下のカラーバリエーションは、ユニフォームのデザイン進化、および差別化の第一歩と言うことができるのではないだろうか。




しかし、ここで問題が発生した。




当時の染色技術はまだ甘く、汗をかくと、色つきの靴下の染料が落ちて、それが足に付着してしまい不衛生だったそうだ。




そこで、染料が直接足に付かないように、色つき靴下の下に、さらに白いアンダーストッキングをはいたのが、靴下2枚重ね穿きの起源となった。




しかし、ここでまた問題が。




靴下を2枚重ねると、靴(スパイク)がキツくなってしまい、サイズが合わなくなってしまうのだ。当然だが。




そこでつま先とかかと部分を切り取り、アーチ型にして、足裏に引っ掛けて、重ね穿きをするようになったのだ。




これなら、染料が落ちてもアンダーストッキングが保護してくれるし、スパイクのサイズが合わない心配もなくなるから。




結局これがスタンダードとなり、半世紀以上もほぼ変わることなく、このスタイルが定着した。                                                                         






しかし1970年代~80年代にかけて、突如異変が起こる。




ストッキングのアーチの部分がどんどん長くなり、サイドに見えるラインが長ければ長いほど、細ければ細いほどカッコいいというハヤリが生まれた。                                                                                                        





僕が少年野球をやっていた頃(1988-89年くらい)も、どれだけストッキングを伸ばせるか、友達と競ったもんだ。ただ、これは単なる当時の流行であり、特に物理的な意味は無かったようである。




しかし1980年も中盤に差し掛かると、一つのエポックメイキング的な事件が起きる。




当時カージナルスにいた、ジョージ・ヘンドリックという選手が、初めてくるぶしまですっぽり被る(ストッキングが見えないタイプの)、いわゆるロングパンツを初めてメジャーリーグの試合ではいたのだ。




当時はまだ今ほど、ロングパンツが主流のスタイルではなかったが、次第にアレ楽そうじゃね?とか、かっこよくね?見たいな感じで徐々にメジャーリーガーの間で広がっていった。何よりストッキングを重ねばきをする必要がなくなったのは最大のメリットだろう。





それから遅れること10年くらいで、プロ野球でも落合博満が(おそらくはじめて)ロングパンツを取り入れ、日本でも徐々にロングパンツが市民権を得ていった。







確かにデカも今現在続けている草野球の際に、やはり靴下を重ね穿きしなくていいのは、ラク。





いまだに昔の人(ノムさんとか)は「ロングパンツはだらしなくてけしからん」という意見をお持ちの方も多いようだが、染色技術が発達し、汗でストッキングの色が落ちてしまうわけもない今日となっては、別に重ねばきする必要性もなく、ユニフォームのデザイン自体も多様化しているため、無理にパンツを膝までたくし上げて、ストッキングの色でチームを判別する必要も無くなったのだ。。。





あとは個人の趣味志向の問題で、イチローやAロッドのように”オールドスタイル”を貫くのもよし、ハヤリのロングパンツを取り入れるのもよし、思い思いのスタイルでユニフォームの着こなしを楽しめばいいのだと、僕は思う。






スーツに例えるなら、パンツの裾をダブルにするか、シングルにするか、それくらいどうでもいいことだと思う。





ただ、伝統と規律を重んじる学生野球の世界では、いまだにロングパンツはNG、パンツは膝下までたくし上げ、ストッキングをシッカリ見せるスタイルが義務付けられている。





また、慶應大学(およびその付属校)のようにストッキングのデザイン自体に意味を持たせているチームもあり(※注)、こういうのはチームの伝統として、今後もきっちり守っていくべきだと思う。




(※注)慶應は六大学のリーグ戦で全勝優勝すると、ストッキングに白いラインが1本増える。現在は2本だから、全勝優勝を過去2回記録しているという証し(1928年秋と85年秋)。





写真上は最後の早慶戦の時(1945年当時)で、写真下は今年の慶大・中林。1本と2本の違いがお分かりいただけるだろうか。                                                                                                                    




そういえば学生野球のユニフォームと言えば、たとえば早稲田や明治は襟付きのユニフォームを採用しているが、これも大昔、ユニフォームの上着に襟が付いていたものの名残りといえるだろう。                                                                          




それがだんだん小さくなっていき、今の位の大きさに収まったのだろう。





高校野球の名門、常総学園(早稲田派)、水戸商業(明治派)なども、その流れをいまだに汲んでいる。中京大中京が襟付きのユニフォームを捨て、新しいデザインに変更されたときは、涙を流したオールドファンもたくさん居たころだろう。。。





最近では菊池雄星の花巻東も襟付きユニフォームを採用していた(プルオーバー型)。





そういう意味では本来的には襟付きのユニフォームってのも、もともとはフォーマルなもので、新庄がディスられまくった襟付きアンダーシャツも、なんら否定されるものではなかったのだ。歴史的背景を学べば。                                                                                                                            






新庄がその事実を知っていたかどうかは別として、時の王監督が、「”襟付き”は青少年の教育に悪影響」という理由で新庄に使用を認めさせなかったのは、僕にとっては半ばジョークのようなエピソードである。




まだまだ終わらん。。。

2009年11月10日火曜日

ユニフォームの歴史は野球の歴史 (はじめに)

日米ほぼ同時に野球シーズンが終わってしまい、最近はさびしい毎日を送っている。



しかしそんなことでネタ切れする野球刑事ではない。この機に長年やりたかった企画をLaunchしたい。



ということで、野球のユニフォームの歴史とウンチクを、今後何回になるか分からないが、納得するまでシリーズ化してお伝えしていきたい。。。タイトル通り、ユニフォームの歴史は野球の歴史そのものなのである。




そもそも、野球の本場アメリカでは、”ユニフォーム”と言っても、あまりピンと来られないケースが多く”ジャージー”と呼ぶのが一般的。”ユニフォーム”と言うと、どうも”制服”っぽいイメージが強いみたいで「野球のユニフォーム」は文字通り、「ベースボール・ジャージー」となる。



しかし本連載の中での表記は、日本人らしく普通に”ユニフォーム”で統一したい。



ただ、この”ジャージー”という響きが、アメリカ人には野球のユニフォームの原点を思い出させてくれるのだろう。(たぶん。)




”ジャージー(Jersey)”を辞書で引くと「毛や綿の服地」とされているが、ベースボール・ジャージーの歴史は1840年代に世界で初めて誕生した野球チーム、『ニューヨーク・ニッカボッカーズ』までさかのぼる。                                                                                        




このチームの名前の通り、野球のユニフォームの起源はニッカポッカであり、これは当時ゴルフや自転車競技でも使用されていた、単なる”動きやすい運動着”として認識されていたニッカポッカとほぼ同じで、特に野球のためにどうこうと言ったワケではなかったらしい。                                                                                                                            




現在も膝までパンツを上げる着こなしの、いわゆる”オールドスタイル”を取り入れてる、イチローやAロッドの姿をみれば、その起源の姿は、みなさんも容易に想像がつくことだろう。                                                                                                                





尚、「ニッカボッカー」とは1800年代当時、オランダからアメリカへの移民の総称だったらしく、彼らが好んでそれを身につけていたそれ(半ズボンみたいな衣服)を「ニッカポッカーズ」と呼んでいたことが由来とされている。




ちなみにNBAのニューヨーク・ニックスの名称はニッカボッカーズからきている。



余談だが、じゃあバスケットの選手もニッカポッカを穿いていたか?というと、それは違うようで、「ニッカボッカー(ズ)」と言う単語自体が、移民の国アメリカ、とりわけニューヨークを象徴する存在になったから、ということらしい。




以前お坂東さんから質問があったが、なぜ一時期野球のストッキングは線のように細かったのか?でも今ではロングパンツが主流だが、その経緯は?



かつてプロ野球やメジャーリーグで実際に存在した、キテレツすぎるデザインのユニフォームの数々など、マニア垂涎の企画を自己満足で繰り広げていきたい。



ということで、オフの間も時々更新される幣ブログをご贔屓に。。。

2009年11月5日木曜日

ヒデキ感激

今年は”イチローの年”となるかと思ったら、最後にヒデキが爆発した。

                                                                               

                                                                                                                                                                                        

                                                                                                昨今ヤンキース残留の可能性が疑問視されている中、タダで終わらないあたりは、やはりただのスターではなかったのね。                                                                                                                                                                                                

新ヤンキー・スタジアム完成の年に、ヤンキースに9年ぶりのチャンピオンリングをもたらした松井の打撃は、ニューヨークのベースボールファンの間でも、長く語り継がれていくことだろう。                                                                                                                                                                                                        

松井がヤンキースを去るのか、去らないのか、よく分からないけど、僕にはそんなことより、もっと気になることがある。                                                                                                                                                                                     

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            ヒデキの嫁だ。                                                                                                                                                                                    

明日(日本時間7日土曜)に、ニューヨークで行われる予定の、ヤンキースの優勝パレードだが、そこには原則家族や嫁さんが同行するため、ヒデキ、ついに嫁解禁なるか。                                                                                                                                                                                                                 

と、いまからソワソワしている。                                                                                                                                                                             

 

過去、田口も松坂も岡島もみんな嫁さんと一緒にパレード参加してるし、イチローだってオールスターの際には必ずパレードには婦人が連れそう。                                                                                                                                                                                                                                

解禁はほぼ間違いないだろう。                                                                                                                                                                                                                                                                   

気になる。。。

野球場の華

たまたまチケットが手に入ったので、久々に東京ドームに行ってきた。                                                                                         

日本シリーズ第4戦。                                                                                                                  

前回の東京ドームは3月のWBC予選だったから、何気に今年初の生・巨人である。                                                                                 

試合はほぼ日ハムのワンサイドで、どうでもいい内容だったが、何かこの屋根付き、人工芝、無機質で味気ない東京ドームという”ハコ”に、何かいいところはないかと、昨日はあたりをキョロキョロしていた。                                                                                                                                                                                              

あった。                                                             

 

                                                                                                       

                                                                                                             

                                                                

                               

ビールの売り子である。                                                                                                                  

自分がオジサンになっただけなのか、売り子の女の子のレベルがアップしたのか、分からないが、みな可愛くて、重いタンクを担いで一生懸命である。                                                                                                                                                                  

このホスピタリティは甲子園にも、米国にも、ない。                                                                                                

売り子といえばつい若い女の子を想像してしまうが、甲子園は結構男性の割合も高いし、メジャーリーグに至っては、ほとんど全員男性というか、おっさんである。                                                                                             

ピーナッツの袋を背面投げしたりとか、パフォーマンスは目を見張るものがあるが、やはりビールは可愛い子から買いたいと言うのが、男性の心理であろう。                                                                                                

 

東京ドームの場合、「25歳以下の女性」という応募規定があるらしいが(表ざたになってるかは不明)、そんなのアメリカだったら人権団体とか騒いで大変だよね。                                                                                                                                                                                           

でも、確かにおばさんとかはいないから、実際あるんだろうね、そういうの。                                                                                    

彼女たちのバイト代は、基本給+インセンティブで、一杯売るごとに数十円が懐に入ってくるというシクミ。                                                                                                                                                                                                  

客もタイミング良い”振り”をしながら、気に入った子が来るのを待ち、思わず買ってしまう。                                                                              

なんでも、ソフトドリンクやアイスや弁当やウイスキーは、まだまだ下っ端らしく、ビールを売れるまでには下積みが必要らしい。                                                                                                                   

いわばビール売りは花形なのだろう。(この話はほんとだろうか。)                                                                                        

 

学生時代に巨人戦を見に行ったら、たまたま中学の同級生の女の子が売り子をしてた時は、びっくりしたが、ちょっぴり嬉しかったな。                                                                                                           

その子は日本酒を売っていたけど。                                                                                                                               

結局ビール売りまで上り詰めることが出来たのかは、いつかあった時に聞いてみよう。